[注意、若干のネタバレあります。ご注意を]
ゼロ・ダーク・サーティ公式サイト
9.11事件後、アメリカの捕虜尋問シーンから始まる。CIA新人女性分析官マヤはパキスタンに送り込まれ、終わることのないアルカイダとその指導者であるオサマ・ビン・ラディンの追跡を行う任務につくことになる。
各所で頻発するテロ、せっつかれるCIA調査チーム、疲弊する分析官たち。終わることのない捕虜に対する虐待すれすれ...というよりはそのものの尋問は時に成果をあげ、時に悲劇を招く。リーダーを失い、仲間を失い、最初は尋問を忌避していたマヤもいつしか疲弊し、狂気じみた執念に身を焼かれるようになる。そんな中、マヤは重要なキーパーソンの手がかりをつかむ。
パキスタンの市街地、窓を塞ぎ、高い塀に囲まれたまるで要塞のような屋敷を発見した。それこそが、アルカイダの重要連絡人が存在する場所。そして、もう一人。巧妙に隠れ、姿らあらわさない男性の影。
アメリカ上層部は半年近い逡巡を経て、特殊部隊DEVGRUをこの要塞に突入させることになる。
というわけで、ビン・ラディン殺害に成功した「Operation Neptune Spear(海神の槍作戦)」をめぐる物語をまとめたのがこの映画、「ゼロ・ダーク・サーティ」なんですけど、ね...これは確かに映画公開後、あれこれと非難を浴びたというんですけどね、「ハート・ロッカー」の監督らしい、決して誇張しない、決して逃げない作風なので、見終わったあとは正直、精神的疲労感を感じますね。
そこにはありとあらゆる欺瞞があり、ありとあらゆる暴力があり、ありとあらゆる皮肉がある。テロを防ぐために捕虜虐待、ときには犯罪行為に手を染めることは妥当かいなか。復讐の怨嗟はどこまでも続くし、終わることはない。
最初、動機もなにもないマヤだったが、ある事件を契機に壊れたように追跡に没頭することになるシーンがなんともはや、爽快感もなく鬱々としたものを感じますね。
映画であることの意味とかよくよく考えることになりましたね。
で、自分としてはそういうシーンもさることながら、実際の作戦シーンも見ていたのですが、いや、DEVGRUも大変だ!とか思うわけですよ。何しろ、間取りもわからない屋敷に突入というリスクの高い作戦。ついでにいうと外部からの火力支援なし。
(背後に一応は友好国扱いのパキスタンがどうしようもなく役に立たないし、アルカイダに協力している一派もいる、というのがちらちらと映画でも語られています)
しかも当初計画では二手に分かれて、屋上と地上から挟み込む形で進入する手はずが、屋上からファストロープで部隊を進入するはずのヘリがダウンウォッシュによるボーテックス・リング・ステート(パワーセット・リング)の影響のせいか揚力を失い不時着とかいうアクシデントに。
このヘリ、MH-60ブラックホークのステルスタイプでしたけど、映画の模型はまぁそこそこステルスに考慮している形でしたね。実際あんなカンジなんでしょう。
アクシデントのシーンは天井がフラットな屋敷に結構な降下速度で近づいたせいで、天井に反射した自機のダウンウォッシュのせいかエンジンがストール(停止)して、リカバリーする間もなく不時着、というカンジで描かれていたのですが、どうかなー。それもあるけど、その一方でダウンウォッシュの影響でヘリの揚力も減ってたんじゃないのかな。
ともかく運よく乗り込んでいたパイロット、隊員に怪我はなく?、作戦は続行。ドタバタしつつもなんとか作戦を果たすわけですが、正直、ちょっとそれってどうなのよ?みたいな手際が...その、なんというか、大変だなぁ、スマートにはできんわなぁ。と色々思うわけですよ。アメリカ軍としてはともかくパキスタン軍士官学校が目の前ということもあって、短時間で終わらせたかったでしょうしね。荒事はしかたがないか。
とはいえもう少し内部に人員いたら、とか、パニック・ルームでもあって逃げ込まれていたらどうする気だったんだ。とか考えてしまいますよ。実際はもっと色々手をうっていたんだろうとは思いますが。
そうそう、小ネタとしてはこの作戦で使用されたことでわりと有名になった4つのカメラつき暗視装置ですね。その名もクアッドアイが出てきたんですが(説明はここ)、あれ、重くて大変
じゃないかなー。で、この暗視装置がらみで調べていたら、今はコンタクトレンズサイズの暗視装置ができたんかい!
ともかく物語の終盤、作戦に参加したCIA実戦部隊の隊員の表情や輸送機に一人乗り込むマヤのシーンがなんとも言えず虚無を感じさせます。ハートロッカーもそうでしたが、この監督がとる作品はどこまでも虚無をカンジさせるなー。
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