2010年5月26日水曜日

[ニコマス]いつかまた・・・

自分が好きなPの一人が、すべての動画を削除していたことを今週知りました。(※)
おそらくなんらかの理由があって引退する必要があったのでしょう。

悲しいけれど、ニコマスというかMADの宿命みたいなものです。
寂寥感を感じないわけではないけれど、Upする理由もあれば削除する理由もあるし、人それぞれですから、見ている立場としては致し方のないところでもあります。

この行き足の速い社会で単なる切抜き動画であるアイマスベースのMAD界隈が3年近くもっていること、それが奇跡みたいなもんです。
(PVのハードルが上がったせいで、新規参入者が少なくなり、既存のスキルをもった参加者であっても手間隙...ダンスパートの枯渇が理由の一つで、トレース動画、あるいはMMDを導入するPが増えてきたのもその理由です。また独自背景などの作成など作品作成スパンが長くなり、動画投稿数が縮小傾向にあるその一方で、素材としては豊富なノベマスの間口が大きいため参入者が増えてくる、というのがこの一年間の流れですね)

カクテルのイベントでもあのクォリティですから、もうハードルだけが上がり続けるわけですね。いやはや。

まぁ、ちょっと悲しい雰囲気になったらこの動画を見ることにしましょう。
答えはもうとっくに出ているのですから。



いつだって祭りが過ぎ去ったことは終わってから気がつくのかもしれません。
まぁ、自分は2ndVisionでどれだけバンナムが本気出すか見届けようと思いますが。

最近、セカチャクとかでニコマス関係の動画のコメントで「ニコマス民の技術はパネェなぁ」とかいうコメントが多く流れますが、そのコメントをみるたび複雑ですよね。
ま、ニコマス界隈なんていい歳とった大人が全力で子供のような遊びをしているので大人気ない本気っぷりが笑いどころなんですよ。いい意味でも悪い意味でもね。

とはいえ、過去二十選に選んだ作品でローカルに保存してないのとかを残しておかなきゃなぁ。


ニコマスのステージから去っていった幾多のPへ。
あらためて、さようなら。別にさびしくなんかないよ。新しいP達はまだ増えているからね。それに俺たちの遊び場は(まだほんのちょっとかもしれないけど)続くからさ。
だからいつでもつらっとした顔で戻ってきてくれてもかまわないさ。恥ずかしがることなんてない。ああ、でも馬鹿騒ぎしているうちにこいよ!とは言っておくけどねw。

ひょっとして、まったく違うところで出会うかもしれないけれど、それが今よりももっと素敵だったり、すごいステージだったりしたら、それはとても嬉しいことだよ。そのときは昔の共犯者っていうか祭りに参加していたよしみでニヤリと笑うだけにしておくことにするよ。

だから、さようなら。いつかまた会おう。貴方の作った作品はとても素敵でした。

※どのPかは名を伏せることにします。

2010年5月23日日曜日

進行中の物語「ログ・ホライズン」

巨大オンラインゲーム〈エルダー・テイル〉をプレイ中の日本人ゲーマー約三万人が追加パック「ノウアスフィアの開墾」のスタート時にいきなり〈エルダー・テイル〉世界に取り込まれてしまう。

この「大災害」の中で呆然自失するプレイヤー達の中でいち早く立ち直ったシロエは、自分たちが混沌とする世界にいきなり放り込まれたことを自覚する。さぁ、物語の幕があがった...。

というわけで、最近各所で話題沸騰議論まで行われていたり書籍化の話も進んでいたりする「まおゆう」こと「魔王勇者」(魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」...このエントリでは「魔王勇者」と書いています)の作者、ママレードサンドさんこと橙乃ままれさんが絶賛連載中の「ログ・ホライズン」を簡単に紹介がてら、「魔王勇者」と「ログ・ホライズン」の共通性とか、違いを書いてみようかなとか無謀なことを書いてみようかと。

ちなみに現在、第1部が終了して第2部が連載中です。
http://ncode.syosetu.com/n8725k/

※現在、二日毎の更新だ。読んでない人は乗り遅れるな、と煽ってみたりして。


***以下の文章には若干のネタバレがあります。ご注意ください。***


「ログ・ホライズン」、まだ連載中ですからアレコレ書くことは難しいこともあるのですが一番の違いは「魔王勇者」と違って、極々一般のライトノベル風味のフォーマットに近い描写がなされています。ライトノベルを読んでいる方なら読みやすいでしょうね。

また登場人物も主人公のシロエ。彼の相棒である直継。シロエを主君?とあがめているようないないような少女...も、もとい女性「忍者」アカツキ。彼らを支える、にゃん太など、名前をもって物語の中で登場します。

この理由はいろいろあるでしょうが一つには「魔王勇者」はドラクエや2chのSSのフォーマットに則っていた「お約束」を利用できたのですが、「ログ・ホライズン」ではまったく作者の手によるオンラインゲームという設定ということもあるし、事細かに世界感やそのゲームでのロジック、かつ、「大災害」後の違いについて述べるためにはどうしても必要な面もありますね。なので、小説的に読みやすいのではないかと思います。

この手の巨大オンラインゲームを舞台にしたものの中では最近評価の高い「ソードアート・オンライン(SAO)」があるのですが、「ログ・ホライズン」は「SAO」と似ているところもあるし、違うところもあるんですよね。これについては後述ということで。

ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)
abec
4048677608



#「魔王勇者」との共通点、「あの丘の向うにあるもの」と「記録の地平線」の目指すパラダイム・シフト
「魔王勇者」がドラクエ的中世世界を加速させて一気に「近世」まで世界を疾走するかのごとき解決を見せたのに対して、こちらは現代の知識をもつ我々と近い位置にいる登場人物が突如異世界に放り込まれます。ゲーム中のステータスはある程度引き継いでいるので、彼らはこの〈エルダー・テイル〉世界の中においても異質ながら存在を認められている「冒険者」としての分類がなされているわけです。

「魔王勇者」の魔王と勇者が目指したあの丘の向う、すなわち、人間(同士も)、魔族を含めた新たな世界感の枠組みという、新しいパラダイム(概念)の構築、パラダイム・シフトを描いたように、「ログ・ホライズン」も第1部ではパラダイム・シフトを描きます。初めて読んだときは「SAO」と似たような世界なんで、どうなるんだろうなと読んでいましたが第1部の中盤以降、ワクワク感がとまらなくなってきましたね。
"腹ぐろ眼鏡"ことシロエの全力管制戦闘っぷりが面白いのなんのって。
ちょっとは(いろいろと)自重できる皇国の守護者でいう新城直衛みたいなシロエなんですが、その逡巡と決意、そして行動が面白いですね。


シロエが途中で気がつき、そしてその"戦闘"中に周囲に明かされる決定的な出来事。それは第1部においても重要でしたが、第2部においてか加速度をつけて物語を駆動させる要素となります。まったく、読み手をどこへ連れ出そうとしているのか第2部でもまだわかりません。それだけに面白い。

面白いといえば「魔王勇者」でも感じたそこはかとないSFマインドもあげられるでしょう。SF好きならとくに第2部の某所の下りでニヤニヤしたんじゃないでしょうか。すくなくとも自分はしましたよw

4150117268ノーストリリア (ハヤカワ文庫 SF ス 4-5) (ハヤカワ文庫SF)
ハヤカワ・デザイン
早川書房 2009-09-05

by G-Tools



物語の中、話はどんどんフレームアップしていきます。最初はシロエ周辺の問題として、次にギルド内部、ギルド間の問題、地域の問題、そしてなにより自分たちが放り込まれたこの<エルダーテイル>の世界の問題。
登場人物たちの多くが自らの価値観や常識が崩れ去るシーンに何度も遭遇します。そしてそのたびに新たな枠組みを考え出していくのです。
つまり「パラダイム・シフト」(価値観の変化)であるわけです。
従来の価値観などでは解釈しきれないような出来事が積み重なっていったとき、それを網羅する新たな法則などが現れて、それまでの解釈も含めてかわってしまう。
あるいはまったく関係ないテクノロジー、技術、法整備による余波は人の価値観すら変えてしまう場合など「パラダイム・シフト」が発生します。

いまだ全容がわからない<エルダーテイル>世界における「パラダイム・シフト」は重要なもので物語の根幹を差すようです。わくわくする物語だと思いません?


#居場所から逃れるのではなく、探すのではなく、作り出すこと。
さて、タイトルにもなっている「ログ・ホライズン」。記録の地平線と作中で書かれたのは重要なタームともなっています。
SAOでもわりと主人公の立脚点ともなっていたギルド(パーティ)にもつながります。
シロエは長らく<エルダー・テイル>をプレイしていて、その知識などを買われてギルドに参加したこともありますが、色々ありギルドから距離を置くようになったという設定です。
その後、理想的な<放蕩者の茶会>なるギルドのようなそうでないような「居心地のよい仲間」が出来るわけですね。直継、にゃん太はそこで知り合ったという設定です。
SAOでもキリトとは(自分のミスから)ギルドから距離を置くようになっていますが、ギルドとは居場所と同義なんでしょうね。まぁギルドというよりパーティなんですが。

<放蕩者の茶会>は数々の伝説を残して発展解消していったという設定で、おそらくシロエにとって猛烈なトラウマではなかったにしても喪失感を味わっている形をとっているのではないか...また、おそらく物語でシロエが幾度か思い出す"彼女"が果たしてどうなっているのか結構キーじゃないのかな...とは思います(あるいはシロエがソウジロウのギルドに参加しなかった理由も案外...とは思いますが)。

しかしこの<ログ・ホライズン>ではシロエは第1部中途である決心をします。にゃん太班長の助言もあったかもしれませんが、最終シーンでシロエは納得するわけです。居場所はもともとそこにあるし、無ければ作り出せばいい。という再確認ですね。それは<エルダーテイル>世界に放り出されたプレイヤー(冒険者)たちにも言えることなのです。第1部ラスト、シロエはその居場所に誰かを向かいいれることも大切なことなのだと気か付くわけですが。

そしてタイトル名でもある<ログ・ホライズン>(記録の地平線)って意味深だと思いません? "記録の果て"と読めばいいのか、"果ての記録"と考えるかで意味合いが異なってくると思いませんか?
「その先」=「果て」なのか、「誰も記したことのない記録を紡ぐ」のでしょうか。

#現在展開中の第2部(完全ネタバレモード)について徒然と。
現在連載中の第2部ですが、どうもゴプリンの大軍勢と初の大規模集団戦闘に突入しそうな勢いです。さてさて、野戦での敵主力の捕捉と撃破は戦史上でもなかなかお目にかかれません。"まっくろ"シロエの手腕(おてなみ)拝見といきましょう。(それとも<エルダー・テイル>のシナリオとして目的地が定まっていればまた別かもしれません)
ただ、"大地人"のほうに損害をださせたくないという条件もあるので時間は限られていますしね。
と、こんなのも書くのも橙乃ままれさんが「魔王勇者」の中でちゃんと中世的軍勢から国民軍の成立の萌芽など架空戦記的な集団戦闘もちゃんと描いてみせたりしているので、どういう展開を書くのか期待しているのもあったりしているわけです。

あと物語最大パーティ人数6人が一個小隊。これを4つ組み合わせて1個中隊(24名)。さらに4個中隊で1個大隊(96名)。となると、戦闘単位をどうするかで話がかわってくるなぁ、とミリオタ成分強めの自分なんかニヤニヤしちゃうんですよね。
例えば、中隊規模戦闘(フルレイド)を単位として考えると中隊を編制するうち3個小隊が戦闘班、残り1個小隊が司令班になるのかな。
物語世界だとパラメーターを見るのも一苦労という設定がありますから、戦闘班(前衛3人・後衛3人)にして、司令班にそれぞれ3個戦闘班を管制+援助する後衛ユニットと統括するリーダー。そして補佐するのは中央司令からの指揮を受け取り、中隊指揮リーダーへと伝達、あるいは支援する参謀、最後に司令班の護衛として1人といったところでしょうか。あるいは2人にして上位部隊から、あるいは中隊間の連携をとってもいいわけです。

まあ、実際の軍編制でいうとパーティ=分隊、4個分隊で1個小隊、とスケールは大きくなるんじゃないかな。(歴史的にみても1人が管理できるのはいいとこ4~5人ですからね)。
実際、最新の30話(5/21付け)ではシロエが先行打撃大隊を編制すると宣言してますから、96人の大隊編制となるわけですか。

どういう戦いをするでしょうか。ザントリーフ半島に残ったメンバーたちの中でも直継・にゃん太たちは遅延行動中で浸透突破してゴブリンの軍勢を混乱させつつ、前線後背はミノリたちのパーティが落ち葉拾いのように補足しているわけですが、ゴブリンがどこまで頭が回るかでこの後の戦闘も見えてくるでしょう。
「ゴブリンの王」を倒すだけではゴブリンの軍勢が散らばってしまうし、ある程度主力を補足する必要はどこかででてくるでしょうからね。

まぁ、何にしても現在連載中。未読の方は是非。面白い小説ですよ。

2010年5月16日日曜日

20100516のメモ

#ただいま・・・
「魔王勇者」「まおゆう」の作者、ママレードサンドさんこと橙乃ままれさんが絶賛連載中の「ログ・ホライズン」についての紹介文をつらつらと書いてます。マインドマップとかでアレコレ書いているのですが、変わらないこと、変わっていることがあって色々な形が見えてきて面白いですね。

#売る気があるとは・・・。
親族から簡単なケータイを。と望まれて、auショップに行ったのですが、「簡単ケータイは来月の機種交換がありますので、品薄で手にはいらないんですよ。K004も、K003もないんですよね~」まてコラ。ほんとにauは商売の矛先がよくわからんなぁ。

#なんたるgdgdっぷり
井上@kojii.netさんのところから。アメリカ軍のgdgdっぷりの横綱といえばF-35か、あるいはKC-Xですね。もともと空中給油機として導入されていたKC-135の老朽化をGAO(会計検査院)から指摘されて、次世代機を模索していたらすいすいとボーイングKC-767(自衛隊とかイタリアも導入しているやつ)に決まりそうな勢いだったら、GAOから契約方法に突っ込みが入るやらボーイング社との汚職問題で白紙に。あげくに「そもそも改良でよくね?」とGAOに追い打ちかけられる始末。
じゃもう一度仕切り直しとして入札したら今度は一転、なんと下馬評覆してNG(ノースロックプ・グラマン)&EADSのエアバスベースのA330MRTTに決定...と思ったら、エアバスかよ!と議員たちが反発(ま、国内労働問題もありますしね)。ここでボーイングが話をややこしくさせてる筆頭でもあるGAOに泣きついたら、GAOは空軍が間違いなのでやり直すように差し戻し...で現在にいたるというわけ。で、今では議員たちからEADSが不正にEUから補助金もらっているのにそんなところから買ってもいいのかとか言い出しているらしい...はぁ(苦笑)
っていうか、そんなに国内の航空機産業から買いたかったら最初から入札条件に書いとけよ、とか、バイ・アメリカン法でもつくっておけとか思うんだけど、こうやってgdgdやってる間にもKC-135はどんどん老朽化するしねぇ、現場の人たちは頭が痛いはず。

なんたるgdgdっぷりの理由とかいろいろ
最近やけにGAOから突っ込みがはいる国防総省だけど、やっぱりイラク、アフガンで泥沼っぽい陸上戦をやってれば、そりゃ湯水のごとく戦費は飛んでいくわけで、国防予算も肥大化するし、開発予算はうなぎのぼり(これはいろいろと理由があるのだけれど)。
今のゲーツ国防長官はかなりの締り屋なので予算削減に大ナタ振るう気まんまん。予算超過の恐れがあるプロジェクトはバタバタと中止に追い込んでいる。その中には「それでいいの?絶対あとでひどい目にあうよ?」って思うEFV(着上陸用車両)の開発中止もあるみたい。ま、なんていうかね、対艦ミサイルがいくら発達したって、どうあがいても歩兵がブーツを濡らして上陸しなきゃならんときは必ずあるわけですよ。いいのかなぁ。
そんな中、空軍もいろいろ考えているらしく、対中国向けにグァムのアンダーソン基地の機能を充実させるとかマリアナ諸島付近にも基地が必要かもという話があがっているとか。でも嘉手納や三沢は上がっていないという話も→。これって前線に近すぎるからね。在日米軍にとって今や日本は前線基地ではなくて、悪い言い方をすれば前線監視ポストでしかすぎないっていう意味でもあるけど、別に卑下する必要はないんだよね。じゃ、いりませんよね。という理由ではないとは思うんですけどね。
外交や国防って、シグナルの誤解からどれだけ不幸な目にあったのかってのをちゃんと理解しないと、たとえば欧州のWW2前夜、ドイツのラインラント進駐からズデーデン要求まで宥和政策によって得られた仮初の平和がどれだけの災厄を呼び起こしたかっていう歴史の皮肉とかを見ていると安直に「不必要だから撤退してくださいね」とはいかない側面もやっぱりあるわけで。
沖縄に兵力が未来永劫必要なのか。って言われるとそんなことはないよ(っていうか、これまたWW2のフランスのようにマジノ線あるから安心!みたいにそれが常識とか思うほうが怖いよね)、とは思うけれど、必要でないようにするためにはそのための仕組みが必要なわけで、そういう仕組みがないのにそんな真似は無理目な話だと思うわけです。
負担は負担で確実にあるのですがね...。っていうか、やっぱりそこらへんを理解したうえで話をスタートしないと会話が続かないわけで。難しいですよね。







2010年5月10日月曜日

幕末遠国奉行の日記―御庭番川村修就の生涯 (中公新書)

幕末遠国奉行の日記―御庭番川村修就の生涯 (中公新書)
幕末遠国奉行の日記―御庭番川村修就の生涯 (中公新書)
中央公論社 1989-03
売り上げランキング : 242693


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


江戸時代末期、辣腕高級官僚の記録
徳川吉宗の時代に発足した御庭番衆。形骸化した伊賀衆、甲賀衆に代わって将軍直轄の調査を担当していたが、この職もまた形を変えていくことになり次第に幕府要職につくものも多くなっていく。
十数家により世襲であるこの制度は幾度かの分家、廃嫡を経て幕末期には二十二家で形成されていた。その中の一つに、分家ながらも重要な地位についた川村家がいた。当時の当主は川村修就(ながたか)。
その辣腕ぶりによって周囲の耳目を引き当時の水野忠邦に目をつけられ抜擢されていく。そして彼は諸外国からの情勢不安と幕府の財政改善のために天領(幕府直轄地)とされた新潟を管理するはじめての遠国奉行(おんくにぶぎょう)として派遣されることになる。その彼が前後に残した日記から探る、江戸幕府末期の高級旗本の暮らしぶり、行政とは?

以前に某所でその話を聞いて古本で手に入れていたのをようやく読みました。
いやね、面白いですよ。「風雲児たち」の副読本として読めば面白いかな?

川村修就(とその父親)が書き残した日記や備忘録などから当時の生活などがうかがいしれます。御庭番衆トップとして一族郎党および他の御庭番衆若手に手ほどきする一方、新潟での奉行所設置に向けての人材のとりまとめ、荷物の手配などなど幕府からの予算を分配したりとか、そんな中でも幕府が管理する大砲などの管理などを行っていたり(彼は自前で射撃訓練場を作るほど砲術も巧みだったのです)。

新潟の奉行職も水野忠邦の意向を受けて、新潟を植民地化させないために防衛と治安維持が最優先のため大砲などをそろえにかかります。

それだけではなく行政手腕も素晴らしく、また個人についても清廉な口なのか不正・汚職・無能な部下を退けたり、奉行所やそこに務める者たちの家などの建設にあたっては色々地元の商人たちが暗躍しようとする中、早々と公開入札(!)で業者を決めて、細やかに監督。期日と予算を守らせたりする巧みな手腕と、その一方で港町ということもあって色街などの処理をあれこれと一か所に固める、物価の不法な値上げを監視するなど様々な辣腕ぶりをみせていることが明らかになります。
その後彼は、大阪、長崎と遠国奉行を歴任しますが、彼は幕府の先行きが短いことを知ってしまったのか、あれだけ熱心だった砲術も途中でやめてしまうだけでなく、自分の部下に「もう江戸はダメだ、地元で畑を買って暮らすといい」と手当を渡して別れてしまうなど複雑な面を見せていたりもしています。
(その目先の良さは、幕府末期に対して自分の屋敷が接収されることを見越して、手早く新たなこじんまりとした家を用意するなど周到なものでした)

その後、勝海舟が江戸幕府でも有数の人材だったと後年伝えていますからなかなかの人物だったのでしょう。で、結構なメモ魔だったらしくかなりの書類が今も子孫に残っており、その中の日記を元に作られたのがこの本というわけです。

いやー、でも修就の父親の日記も面白いですよ。不出来な本家の息子の後始末に奔走したり(しまいには養子縁組で他のところからつれてきてその不出来な息子を早々と隠居させてしまったりとか)、貧乏なので定期的に借金していたり、それでも優秀なのか着々と出世する一方、息子の修就をあちこちと一人旅させて御庭番衆として教育させていたりなどなど。

幕府時代の官僚生活がどういうものかを知るにもいい資料かも。面白かったです。
読了記録として。


2010年5月3日月曜日

最近の購入物いろいろ。

書きもれがあるかもしれないのであとで追加予定。

バクマン。 8 (ジャンプコミックス)
バクマン。 8 (ジャンプコミックス)大場 つぐみ

集英社 2010-04-30
売り上げランキング :

おすすめ平均 star
starうん、蒼樹紅。
star面白い
star本編の方がギャグ

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



GUNSLINGER GIRL 12 (電撃コミックス)
GUNSLINGER GIRL 12 (電撃コミックス)
アスキー・メディアワークス 2010-04-27
売り上げランキング :

おすすめ平均 star
star憎悪と悲しみ、共感せずにいられない
star続き楽しみ
starおぉ・・・・

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


なんていうか救いがないねぇ。どうなるんだろう、この物語。

対馬奪還戦争 5 (C・Novels 34-79)
対馬奪還戦争 5 (C・Novels 34-79)
中央公論新社 2010-04
売り上げランキング : 831

おすすめ平均 star
star何がなんやら...大混乱のメチャ書きか壮大な伏線か?

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


...うーん、もうコメントしようがない。それでいいの?っていう気が...


さよなら、ジンジャー・エンジェル

さよなら、ジンジャー・エンジェル
さよなら、ジンジャー・エンジェル
双葉社 2010-02-09
売り上げランキング : 42330


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


新城カズマらしい、ディレンタントなファンタジーだなぁ。というのが読後の印象。
どんな話か書くとなんていうか陳腐になりそうだし、ネタバレしかねないのであまり書かないことにしようかと。

これをおすすめしたいのは「15×24」を読んでて面白かったと思う人かなぁ。実はちょい役で彼らの何人かが登場するのです。


2010年5月1日土曜日

今こそアーレントを読み直す

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
講談社 2009-05-19
売り上げランキング : 13509

おすすめ平均 star
starアーレントを現代の日本に適用するために
star「世論」の精神的奴隷にならないために
starアーレント政治哲学入門

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


今年の自分の目標の一つに「ハンナ・アーレント(1906~1975)の著作を一つでもいいから読む」というのがあって、その羅針盤、とっかかりとして新書を選んでまずはどんなものかを知ろうと思ったら、なんとまぁ、これが面白そうで!

最近の書評系界隈で盛り上がっている「まおゆう」、魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」でも盛んに語られている、善悪二元論の向こう側にある物語というのと、やけにシンクロしている話で面白かったですね。

善悪にかかわらず二元論というのが非常にわかりやすい、ある種どうして導かれるのか。という側面について書いている。その一方で、彼女が理想としていたアメリカ革命と、フランス革命の違いや、多種多様性の許容などなど筆者がアーレントについて語りながらその全容をできるかぎり実際のケースを踏まえて説明しているわけで読んでてなるほど、と思ってもみたり。
もっともアーレント自身の著作を読んだわけではありませんので、筆者の解説を元に簡単に自分自身のメモとして以下の文章を書いてみたり。

全体主義を呼ぶもの。
アーレントが生きた時代は全体主義、共産主義が猛威を振るった時代でもあり、本人がユダヤ人というルーツもあってか、その点についていろいろと著作を残している。
彼女の説によると、全体主義を生み出したのは近代における「国民国家」であるという。国民国家とは、文化的コミュニティのアイデンティティを確立しはじめてから成立するものである。たとえばナポレオン時代のフランス、そしてその影響を受けたプロシアのケース。しかしフランスがフランス革命において周辺諸国の外圧を元に国民意識を芽生えたように、プロシアがフランスにより占領されてから統一国家=ドイツを成立させたように、外敵が必要になるという点ではかわらない。
つまるところ自らのアイデンティティを成立させるためには何かしか対立要因が必要になるというわけだ。実際には近代にいたるとその影響力を失いはじめたユダヤ人がこうして敵対要因として浮かび上がってきた...というのは結論だがことは簡単にはいかない。国民国家が成立することによって資本主義社会が始まり、次には資本主義社会の根源である拡張志向が帝国主義となって形らあらわす。ここでもアイデンティを求める対立が必要となり次は内向きの対立要因が発生する。つまるところ植民地との対比によっての確立だ。そこに大衆社会の成立による意識の希薄化がブレンドされる。
国民国家成立直後は国民にも政治に対してコミットメントする意識はあり、法整備が進み、各種権利が成立するのだが、時代を経るにしたがいその意識は希薄になる。結局のところ受動的な立場になる。従来まであって組合などによる組織票(つまりは代理的階級闘争)も成立しなくなっていき、国民一人ひとりも政治にコミットするという意識も希薄になり曖昧模糊とした存在、つまりは大衆になっていく。アーレントはこれを「原子化」と呼ぶそうな。
こうなってくると、一方で国を動かす政党のほうも変化していく。てっとり早く民衆の支持を得るために世界観的な原理原則を持ち出し、世界や社会の本来のあり方、民族の歴史的使命などを口に出す。現世の既得権益では人を結び付けられないので必然とこうなるわけで、あたかも疑似宗教のようなシロモノになる。原子化した国民(市民)はこうしたわかりやすいファンタジーに集まっていく...つまるところ全体主義とは空想社会なのである。空想社会を求める人々にとって現実世界とは「わかりやすい」物語である必要があるため、ここにユダヤ人による資本主義社会の操作とか、なんていうか日本でもありがちな陰謀論がはびこることになる。次に待ち受けるのは人格の喪失である。
ナチスドイツにおいてユダヤ人のホロコーストに加担したアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴したアーレントは、彼(アイヒマン)が高邁な思想も持ち合わせていない単なる凡庸な人物であったことに愕然としたそうな。彼は確たる主義主張のためではなく、組織内の保身などの目的でもなく、命ぜられたままにホロコーストに加担したというわけで、このことはアーレントをひどく驚かせたという。大衆社会を人間を人間でなくしてしまうのだろうか? ではそもそも人間とはなんなのだろう。人が人たらしめるものとはいったい?

結局のところ、アーレントはこのような事態に陥らないようにするための方法について明確に語ってはいない。アーレントが記述していたのは、古代ギリシァのアテネのように、国民一人ひとりが政治に対して真摯に向き合うことでしかないのだ、という点であり、簡単そうに見えてこれが一番難しい。安直に対立軸を求めるのではなく、その背後にあるものをとらえて考えていかねばならないというわけになる。

...とまぁ、話はまだまだ続くし、個人的には「ははぁ!」「ふーん、そうとらえるのか!?」とかいろいろと面白いくだりがあったのでこの文章は後程、時間があれば拡張していくかも。

というわけで、自分としては非常に面白かった本でした。やはりここはちゃんと読んでみるべきなんだろうなぁ。>ハンナ・アーレント