この「大災害」の中で呆然自失するプレイヤー達の中でいち早く立ち直ったシロエは、自分たちが混沌とする世界にいきなり放り込まれたことを自覚する。さぁ、物語の幕があがった...。
というわけで、最近各所で話題沸騰議論まで行われていたり書籍化の話も進んでいたりする「まおゆう」こと「魔王勇者」(魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」...このエントリでは「魔王勇者」と書いています)の作者、ママレードサンドさんこと橙乃ままれさんが絶賛連載中の「ログ・ホライズン」を簡単に紹介がてら、「魔王勇者」と「ログ・ホライズン」の共通性とか、違いを書いてみようかなとか無謀なことを書いてみようかと。
ちなみに現在、第1部が終了して第2部が連載中です。
http://ncode.syosetu.com/n8725k/
※現在、二日毎の更新だ。読んでない人は乗り遅れるな、と煽ってみたりして。
***以下の文章には若干のネタバレがあります。ご注意ください。***
「ログ・ホライズン」、まだ連載中ですからアレコレ書くことは難しいこともあるのですが一番の違いは「魔王勇者」と違って、極々一般のライトノベル風味のフォーマットに近い描写がなされています。ライトノベルを読んでいる方なら読みやすいでしょうね。
また登場人物も主人公のシロエ。彼の相棒である直継。シロエを主君?とあがめているようないないような少女...も、もとい女性「忍者」アカツキ。彼らを支える、にゃん太など、名前をもって物語の中で登場します。
この理由はいろいろあるでしょうが一つには「魔王勇者」はドラクエや2chのSSのフォーマットに則っていた「お約束」を利用できたのですが、「ログ・ホライズン」ではまったく作者の手によるオンラインゲームという設定ということもあるし、事細かに世界感やそのゲームでのロジック、かつ、「大災害」後の違いについて述べるためにはどうしても必要な面もありますね。なので、小説的に読みやすいのではないかと思います。
この手の巨大オンラインゲームを舞台にしたものの中では最近評価の高い「ソードアート・オンライン(SAO)」があるのですが、「ログ・ホライズン」は「SAO」と似ているところもあるし、違うところもあるんですよね。これについては後述ということで。
ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)
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#「魔王勇者」との共通点、「あの丘の向うにあるもの」と「記録の地平線」の目指すパラダイム・シフト
「魔王勇者」がドラクエ的中世世界を加速させて一気に「近世」まで世界を疾走するかのごとき解決を見せたのに対して、こちらは現代の知識をもつ我々と近い位置にいる登場人物が突如異世界に放り込まれます。ゲーム中のステータスはある程度引き継いでいるので、彼らはこの〈エルダー・テイル〉世界の中においても異質ながら存在を認められている「冒険者」としての分類がなされているわけです。
「魔王勇者」の魔王と勇者が目指したあの丘の向う、すなわち、人間(同士も)、魔族を含めた新たな世界感の枠組みという、新しいパラダイム(概念)の構築、パラダイム・シフトを描いたように、「ログ・ホライズン」も第1部ではパラダイム・シフトを描きます。初めて読んだときは「SAO」と似たような世界なんで、どうなるんだろうなと読んでいましたが第1部の中盤以降、ワクワク感がとまらなくなってきましたね。
"腹ぐろ眼鏡"ことシロエの全力管制戦闘っぷりが面白いのなんのって。
ちょっとは(いろいろと)自重できる皇国の守護者でいう新城直衛みたいなシロエなんですが、その逡巡と決意、そして行動が面白いですね。
シロエが途中で気がつき、そしてその"戦闘"中に周囲に明かされる決定的な出来事。それは第1部においても重要でしたが、第2部においてか加速度をつけて物語を駆動させる要素となります。まったく、読み手をどこへ連れ出そうとしているのか第2部でもまだわかりません。それだけに面白い。
面白いといえば「魔王勇者」でも感じたそこはかとないSFマインドもあげられるでしょう。SF好きならとくに第2部の某所の下りでニヤニヤしたんじゃないでしょうか。すくなくとも自分はしましたよw
ノーストリリア (ハヤカワ文庫 SF ス 4-5) (ハヤカワ文庫SF) ハヤカワ・デザイン 早川書房 2009-09-05 by G-Tools |
物語の中、話はどんどんフレームアップしていきます。最初はシロエ周辺の問題として、次にギルド内部、ギルド間の問題、地域の問題、そしてなにより自分たちが放り込まれたこの<エルダーテイル>の世界の問題。
登場人物たちの多くが自らの価値観や常識が崩れ去るシーンに何度も遭遇します。そしてそのたびに新たな枠組みを考え出していくのです。
つまり「パラダイム・シフト」(価値観の変化)であるわけです。
従来の価値観などでは解釈しきれないような出来事が積み重なっていったとき、それを網羅する新たな法則などが現れて、それまでの解釈も含めてかわってしまう。
あるいはまったく関係ないテクノロジー、技術、法整備による余波は人の価値観すら変えてしまう場合など「パラダイム・シフト」が発生します。
いまだ全容がわからない<エルダーテイル>世界における「パラダイム・シフト」は重要なもので物語の根幹を差すようです。わくわくする物語だと思いません?
#居場所から逃れるのではなく、探すのではなく、作り出すこと。
さて、タイトルにもなっている「ログ・ホライズン」。記録の地平線と作中で書かれたのは重要なタームともなっています。
SAOでもわりと主人公の立脚点ともなっていたギルド(パーティ)にもつながります。
シロエは長らく<エルダー・テイル>をプレイしていて、その知識などを買われてギルドに参加したこともありますが、色々ありギルドから距離を置くようになったという設定です。
その後、理想的な<放蕩者の茶会>なるギルドのようなそうでないような「居心地のよい仲間」が出来るわけですね。直継、にゃん太はそこで知り合ったという設定です。
SAOでもキリトとは(自分のミスから)ギルドから距離を置くようになっていますが、ギルドとは居場所と同義なんでしょうね。まぁギルドというよりパーティなんですが。
<放蕩者の茶会>は数々の伝説を残して発展解消していったという設定で、おそらくシロエにとって猛烈なトラウマではなかったにしても喪失感を味わっている形をとっているのではないか...また、おそらく物語でシロエが幾度か思い出す"彼女"が果たしてどうなっているのか結構キーじゃないのかな...とは思います(あるいはシロエがソウジロウのギルドに参加しなかった理由も案外...とは思いますが)。
しかしこの<ログ・ホライズン>ではシロエは第1部中途である決心をします。にゃん太班長の助言もあったかもしれませんが、最終シーンでシロエは納得するわけです。居場所はもともとそこにあるし、無ければ作り出せばいい。という再確認ですね。それは<エルダーテイル>世界に放り出されたプレイヤー(冒険者)たちにも言えることなのです。第1部ラスト、シロエはその居場所に誰かを向かいいれることも大切なことなのだと気か付くわけですが。
そしてタイトル名でもある<ログ・ホライズン>(記録の地平線)って意味深だと思いません? "記録の果て"と読めばいいのか、"果ての記録"と考えるかで意味合いが異なってくると思いませんか?
「その先」=「果て」なのか、「誰も記したことのない記録を紡ぐ」のでしょうか。
#現在展開中の第2部(完全ネタバレモード)について徒然と。
現在連載中の第2部ですが、どうもゴプリンの大軍勢と初の大規模集団戦闘に突入しそうな勢いです。さてさて、野戦での敵主力の捕捉と撃破は戦史上でもなかなかお目にかかれません。"まっくろ"シロエの手腕(おてなみ)拝見といきましょう。(それとも<エルダー・テイル>のシナリオとして目的地が定まっていればまた別かもしれません)
ただ、"大地人"のほうに損害をださせたくないという条件もあるので時間は限られていますしね。
と、こんなのも書くのも橙乃ままれさんが「魔王勇者」の中でちゃんと中世的軍勢から国民軍の成立の萌芽など架空戦記的な集団戦闘もちゃんと描いてみせたりしているので、どういう展開を書くのか期待しているのもあったりしているわけです。
あと物語最大パーティ人数6人が一個小隊。これを4つ組み合わせて1個中隊(24名)。さらに4個中隊で1個大隊(96名)。となると、戦闘単位をどうするかで話がかわってくるなぁ、とミリオタ成分強めの自分なんかニヤニヤしちゃうんですよね。
例えば、中隊規模戦闘(フルレイド)を単位として考えると中隊を編制するうち3個小隊が戦闘班、残り1個小隊が司令班になるのかな。
物語世界だとパラメーターを見るのも一苦労という設定がありますから、戦闘班(前衛3人・後衛3人)にして、司令班にそれぞれ3個戦闘班を管制+援助する後衛ユニットと統括するリーダー。そして補佐するのは中央司令からの指揮を受け取り、中隊指揮リーダーへと伝達、あるいは支援する参謀、最後に司令班の護衛として1人といったところでしょうか。あるいは2人にして上位部隊から、あるいは中隊間の連携をとってもいいわけです。
まあ、実際の軍編制でいうとパーティ=分隊、4個分隊で1個小隊、とスケールは大きくなるんじゃないかな。(歴史的にみても1人が管理できるのはいいとこ4~5人ですからね)。
実際、最新の30話(5/21付け)ではシロエが先行打撃大隊を編制すると宣言してますから、96人の大隊編制となるわけですか。
どういう戦いをするでしょうか。ザントリーフ半島に残ったメンバーたちの中でも直継・にゃん太たちは遅延行動中で浸透突破してゴブリンの軍勢を混乱させつつ、前線後背はミノリたちのパーティが落ち葉拾いのように補足しているわけですが、ゴブリンがどこまで頭が回るかでこの後の戦闘も見えてくるでしょう。
「ゴブリンの王」を倒すだけではゴブリンの軍勢が散らばってしまうし、ある程度主力を補足する必要はどこかででてくるでしょうからね。
まぁ、何にしても現在連載中。未読の方は是非。面白い小説ですよ。
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