2005年5月21日土曜日

多分、きっと、あの頃は。

えー、フリューゲルス、五輪代表で活躍した前園が引退とのこと。"http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20050519-00020361-jij-spo.html">
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20050519-00020361-jij-spo.html


うーむ。あの迸るような情熱を持て余し気味にギラギラさせて、相手DFを切り裂いたドリブルが懐かしい。

当時、自分も今ほどスレてはいないサッカー好きだったし、
同世代ということもあって本当にアトランタ五輪日本代表チームには心の底から応援していた。

その後のシドニー世代とは異なって、ユースなどでの実績はなく「世界の扉を開く」のが目的だったとしても、いや、
そうであるがゆえに希望を抱いていた。

選手は粒ぞろいで、前園、城、小倉(嗚呼・・・)、伊東、服部、田中誠、川口らを筆頭にこいつらならやってくれると信じられたのだ。
そして最後に若手のジョーカー、中田がいたのだから。

シャーアラームでサウジのDFの中央を鮮やかなワン・ツーとドリブル突破で切り刻み、ゴールを結びつけたシーンを思い出す。



あの頃はすべてが何もかも幼すぎた。選手も周囲も、ファンも、マスコミも。

前園が大成しなかった理由も、彼の精神を正しく導く者がいなかった一因もあるかもしれない。もし、
スペインに移籍できていたらどうなっていただろうかと思うときもある。今、
ヴェルディを指揮しているアルディレスのような監督にも出会わなかったのも痛かったかもしれない。
沢登がアルディレスの手によって再生したかのように、前園も必要なときに必要な監督などが周囲にいれば・・・と思ってしまうのだ。そして、
最後にはイタリアのゾラのような選手になれたかもしれないのに・・・といらぬ妄想を抱いてしまう。



その後、日本サッカーはフランスW杯予選をめぐる七転八倒の日々を送って実力を得て、これまた気難しい才気走ったフランス人監督と、
これまた運よくアトランタ世代以上の粒ぞろいがそろった黄金世代を中核にリアリズムを身に付け、
いまやブラジル人監督の下でよせばいいのにニヒリズムを体得しているような気がしているのだが(w そこに至る前に、前園という、
一瞬のとんでもない輝きを見せた選手がいたのを忘れることはできない。


ありがとう、ゾノ。



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