2010年8月12日木曜日

不快なお話。(サッカー日本代表にまつわる話)

いや、基本的にこのblogは毒を吐かないというか、おすすめ本とかネタを題材としているのでDisったりすることは極力避けているのだけれど、これはちょっと、読んでいてさすがに思うところあったので、ちょっとしたメモとして。

世界は日本サッカーをどう報じたか 「日本がサッカーの国になった日」 (ベスト新書)
世界は日本サッカーをどう報じたか 「日本がサッカーの国になった日」 (ベスト新書)木崎 伸也

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starこれを読まなければ、W杯は終わらない

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どんな本かは「サポティスタ」で取り上げられていますのでリンクを張っておきます。
世界はジャパンをどう見たか? from サポティスタ

まぁ、なんですか、ちょっと読んでて眩暈がしたり。
この本は海外のマスメディアがW杯大会での日本代表がどう報じていたのか。という話なのですが、なんていうか...その、いくら最近粗製乱造の感がある新書にしてもやっつけ仕事っぷりが目にあまりますよ。

海外の視線は日本国内とのギャップがあるので示唆にとむ場合もあります(見当ハズレな時もあるのですがね)。そういう意味ではこういうまとめはある意味必要かもしれません。まぁ、なんにせよよそ様の評価が気になる口だよなぁと苦笑もしてしまうのですが。

ともかく、筆者は日本代表が守りを固めたつまらないサッカーだった。もっと面白いサッカーができるのに!と書くがために...つまりパラグアイ戦の戦いぶりはデンマーク戦で攻撃的なサッカーを見せた日本代表に世界のサッカーファンが抱いた期待を裏切った。という書き方なのですが...

お前の中のサッカー日本代表(妄想)ではそうなんだろうな。

と、少女ファイトのパクリ的なセリフが心に浮かんだのですが、これでプロの評論家?っていうか、こんな願望と現実を取り違えたような文章をかくんじゃないよと思っても見たり。

多分この人たちは日本代表がディフェンシブに戦えば「もっと攻めれたはず」と書き、オフェンシブに戦えば「勝利に対するリアリズムが足りない」とかいう手合いなんじゃないだろうかと、ドイツW杯後の体たらくを見ていると思うわけです。
あまりレッテル張りはしたくはないですが、筆者がサッカー・ジャーナリストの金子達仁氏の流れでデビューしたということを知って、ああやっぱりと思ったのですが...やれやれ。

*

サッカーは相手があって成立するモノで、自分たちの能力は常に相対的に表れる。
つまり、強い敵相手であれば守りが前面に出てくるし、弱い敵であれば時間稼ぎに終始したプレーを行っていても、なお強さを発揮することができるのです。結果、W杯大会における日本は、純粋な戦力差としては常に劣勢だったのではないか。この単純なことがわからないのか。と思うわけですよ。
例えば日本が純粋な戦力差として優越できる相手、たとえばアジア予選における東南アジア、あるいは中東のそこそこなチーム相手の場合、当然相手チームは守備を固めて日本はそれを打開するためにあれこれと手をうつわけです。当然攻撃的な面もあります。逆に得失点差でどうしても日本に対して攻勢をかける必要がある場合でも、その多くは日本にとって危険なバイタルエリアの侵入を許すわけでもなく、DFラインがよほどの悪条件が重ならないかぎり崩れることはないわけです。
しかし、このバランスが崩れた場合...つまり岡田監督が攻めることを選択してオランダ戦に挑んだときのように、危険な場面はあれど決定的なことをオランダは許しはせず、最終的には大差で勝利できたわけです

まぁ、つまりところ何がいいたいかというと、相手があって云々するべきことをおざなりにして「日本はもっと攻撃的サッカーを見せられたはず」なんていうのは、自分の願望を全面に押し出しているだけではないのかと思うわけです。

日本がガチンコのオフィシャルなタイトルがかかった大会にどれだけ参加していると思いますか? アジアカップ、W杯。この二つだけですよ(今回は南米選手権に招待もされていますが)。あとの試合は親善試合か、いいとこ国内カップ戦(たとえばキリンカップのような)のものです。
アジアカップで攻撃的サッカーを見せることはできましたか? いや、確かにトルシェ時代のレバノン大会は、なんていうか、覇王というか一国だけレベルの違うサッカーっぷり(ポカも多かったですが)でしたが、そのあとのフランス国内でのフランス代表相手にけちょんけちょん。つい最近はオシム監督時代でまだチーム作りの途中だったからあまりいい結果を残せずじまい。
コンフェデレーション・カップは基本的にプレW杯大会というか、国際的な評価としてガチなものではないでしょう?
いくら親善試合でいい試合を見せたとしてもガチンコ勝負はまた違うのではないでしょうか。

じゃあどうしてカメルーン、デンマーク戦に勝って、オランダ戦に0-1で負けて、パラグアイ戦にPKまでもつれ込んだのか。と言われれば、純粋な戦力比では劣っていたが、それを少なくとも五分にまで持って行ける戦力増強要素があった、つまり相手チームに対するスカウティング(戦力分析)であったり、高地順応化の成功による運動量の優越であったりするんじゃないの。というわけです。
事前準備である程度相手と戦えるメドがついて、カメルーン戦に勝利したことでチームが結束して、オランダ戦は最少得点差で敗北。そうすることで得失点差でデンマークより優位にたったおかげで、デンマークは攻め上がざるをえず、必然と日本にも攻勢のチャンスが増えた。前半、トマソンにいいようにやられていた時間帯に失点していたらどうなっていたか。勝負のアヤは確実にあったわけです。日本が勝利しやすい状況は、それまでの事前の仕込み(カメルーン戦はともかく、オランダ戦に最少失点差で敗北)がうまくいったがために目の前に現れたわけで、日本が単純実力差で攻撃が成功したわけではない(無論、岡田監督は必要以上にディフェンスの意識が生じないように前向きに「攻撃するんだ」とシグナルを発していたのもありましたが)というわけです。

そういう、前後の文脈というか流れを読まないで、「日本が攻撃的にいかなかった」というのは、単なる無いものねだり以下の「願望」、あるいはもっと口汚く言えば、「天邪鬼のように、周囲の反応と違う意見を言えばそれだけで賢しらに見える」類ではないかと思うわけです。

日本代表チームは強かった。わけではなく、相対的に代表チームが優位に立っていたし運もあったから勝った。それは選手個々のポテンシャルだけを抽出したというわけではなく、総合力としての事前準備がうまくいき、チームに参加した選手が誰一人揉め事を起こすわけでもなく、結束できた。ということが大きいわけです。それは素晴らしい成功体験ですよ。

じゃあどうしてそういうことができたのか、といえば、ジーコ代表監督時代のお粗末なコンディショニングだったり、ついぞ選手の自主性という言葉で言われた無責任であったり、ドイツW杯期間中にあったという選手間でのいざこざだったり反省もあるのでしょう。つまり、アンチ・パターンがあって、まっとうな丁寧な準備と、選手個々の意識がちゃんと同一方向へ向いていれば、ここまでできるというポジティブなパターンがここに成立したわけです。
なにがしかチームなり組織が強くなるのは、こういう失敗体験(アンチ・パターン)と、成功体験(ポジティブ・パターン)の積み重ねが正しくあとの世代に引き継がれていくことなんじゃないかと思うわけです。
(...余談ですけど、会社とか部活動とかで先輩や上司たちが自分の成功体験に酔って、俺たちは頑張ったのにとかいうのは正しい引き継がれ方ではないわけですよね)

...話がどうもあちこちに拡散してしまいましたけど、今回の日本代表チーム(の選手、スタッフたち)の道のりはそれはそれでいろいろな示唆があります。彼らはピッチの中でも外でも勝利のためにすべてを捧げたのです。そして勝った。どれだけ無様といわれようとも退屈といわれようとも勝利のためにすべてをかけて、そしてグループを勝ち抜いたのです。ウェリントンがいうように、どれだけ陰惨な勝利でも栄光に満ちた敗北よりはマシですし、自分もそう思います。
あのとき日本代表にとって二度のグループリーグ敗退という結末はは、国内のサッカーに対する関心と、アジア全体のW杯予選枠減少を招く最悪のものでした。国内サッカーの関心はともかく、アフリカ勢が総じて低調の中、日本と韓国が決勝トーナメントに進出できたことは本当に大きな実績なのです。
その"勝利"は分析し評価の対象ではありますが不当に貶められるものではないのだと、自分は思います。
(無論、それに至るまでの紆余曲折については色々と議論すべきだとは思いますが)

ま、というわけで冒頭の新書を読んでおもったことのメモとして。

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