つい数日前、twitterでちょっとデマについてのやり取りをしていたのだけれど、上手くまとまらないので備忘録的にblogに書いてみて整理してみたい。
ことの始まりは、福島第二原発の温度計の問題。2/13日の時点では、一箇所のみ温度計に顕著な変化が確認された。これが発端でtwitterで「臨界騒ぎ」があったのだけれど、自分にしてみればこの段階で、「確証が取れていないので確証待ちにしたら東電は隠しているといわれ、状況が明らかでない状態だといえば真実を隠しているといわれ、もうなんていうか大変ですね」という感じであれこれと書いていた。
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信じようが信じまいが複数の検査ポイントで異常が出ない以上、疑うことに意味はない。としか言いようがない。信じなければそれでもいいけど、留保付様子見。というのがあるよね。
誰かが信用できないというのは基本的にもはや宗教や洗脳状態の人ををどうデプログラム(脱洗脳)するかの問題でしかないので、そこまで面倒見きれないなー。個人として距離は置くし、嘘を書き連ねるのなら訂正するだけかなー。
人は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じない。演出や"その場の雰囲気"で納得させることは出来るかもしれないけど、そんなことやったって後には続かない。結局のところは淡々と事実を積み上げていくしかない。陰謀論と似た側面はある。
結局のところ、信じる信じないではなく、事実はどこにあるかの問題。複数の調査、センサー、結果を見て、大騒ぎをするかしないかを考えればいいだけだしね。
事実は一つの現実の事象だけど、真実は個々にある。少年探偵が言うようなことはどこにもない。AがBを殴ったことは事実だが、その非がBにあるかAにあるかは観測者の問題でしかないわけですしね。
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まぁ、こんな感じでつぶやいていたのだけれど、ある方とその後非公式RTであれこれとやり取りすることになった。
その話を要約すると、「東電がみなに信じられていないから何を言っても誰も信じないということに東電が気がつかないかぎり意味がない」→(自分)「どんな専門家を用意したところで信用しない人は信用しないし、トンデモな意見の持ち主が信用するのは自分の価値観に合致するトンデモ専門家でしかないし、それが事実なのかどうかはどうなんだろう?」ってところで、ちょっと中座する羽目になったんだけど。
人が理性ではなく情緒で基本的に行動するということは、緊急事態の有様を描いた本でも正しく描かれている。
生き残る判断 生き残れない行動 | |
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この本でひとつうーむと考えたのが、以下のくだり。
「一般に人が求めるのは、身体的な安全よりも感情的な安全だ。」
9.11テロ後、アメリカの人々は航空機に乗ることを避けて長距離の移動は車を選択するようになった。しかし、現実のところ、飛行機事故の可能性よりも交通事故の可能性のほうが高く、翌年、交通事故発生数は顕著な上昇を示すことになった。
さて、これが指し示すところは、結局人は情緒的問題で事を選択するということ。
「大災害生存者の心の闇と生と死の分岐点 」
ここでは上記の本の著者、アマンダ・リプリーのインタビュー記事があるのだけれど、原発・放射線問題に対するアプローチとして、自分もうなづけるくだりがあったので改めて引用する。
��政府・東電)関係者でこのインタビューを読んでいる人がいれば、是非こう考えてほしい。情報を公開すると、パニックを招くのではないかというのは誤解だ。実際にはパニックは起こらないし、情報はたとえ不完全なものであっても、少ないよりは多く出すほうがいい。なぜなら、状況を知りたいというのが人間の本能であり、情報公開はそれに応えるものだからだ。
一方、国民の側も、自ら嫌気や不安から抜け出す努力をすべきだ。たとえば、「自分に分かること」と「自分に分からないこと」が何であるかを区別して考えてみることは、こうしたときに非常に有効だ。たとえば、「よく分からないこと」といえば、放射線の影響だろう。しかし、放射線をむやみに怖れるのではなく、自分でもそのリスクを学習すれば、どの情報を選ぶべきか分かるようになるはずだ。また、自分がどんなリスクに対してどんな行動をとるべきかを考えてみることも大変重要だ。そうした小さなことを積み重ねていくことによって、負の精神状態からある程度抜け出すことができるのである。
つまるところ、「自分で考える」ことが必要だし、そのためには「ならないことを考えるのではなく、なったときどうするか」ということを少しは考えてみるべきだし、わからないことがあれば、リスクについて学ぶことが出来る。この国はその点、ネットや図書館でさまざまな情報を探せるのだから。何も専門家の知識を得る必要はない。基本的な事柄・自らの知る現実のケースに当てはめれば、ある程度は見えてくる。
それは誰かを信じる、信じないというほかに「自分で判断する」という重要な面がある。
放射線の単位であるシーベルトとベクレルの関連性(ベクレル数値のみで語る人は信用しない)、その単位、ミリ・マイクロの値(10のマイナス3乗、10のマイナス6乗)を知れば、おのずと人体に与える"緊急事態"の閾値は見えてくる。
今回の福島第二原発のケースでいえば、複数の温度計すべて、あるいは特定、いくつかの温度計に偏りと見られる温度上昇がなければ、「その温度計は正常?」という疑問は生じるだろうし、ましてや臨界騒ぎになりそれが制御できないなんて騒ぎになる予兆があれば周辺の観測データもそれを示す形になるだろう。それがなくとも3.11の騒ぎこの方民間でも学校でも放射線量の観測は行っているのだから、ちがうソースがそのことを示して喚起を示すだろう。自分の思考ルートはそんな感じでしたけどね。
結局のところ、専門家云々の問題ではない。自分で考えることです。
そうすることで、トンでも専門家もフィルタできるかもしれません。少なくとも、どこぞの教授職についている人が専門外のことについて垂れ流すことはカットできますよね。東京電力がいう言葉をすべて受け入れる必要はないんです。違う専門家をつれてくる必要もない。ただ、複数の情報を提示すればあたりをつけるか、あるいは留保することが出来る。
とはいえ、自分で考えて間違った結論でちゃって、それで騒ぎを起こすケースもあるから頭が痛い。
つい今日も乳酸菌風呂とか見たとたんマジかよ。というネタが飛び交っていたのだけれど、いったい全体こんなこと真に受ける人たちの脳みそはどんな仕組みなんだろうと思う。ホメオパシーといい、EM菌といい、米のとぎ汁云々といい、もう、わざわざ不健康になる選択をしてどうするよ。と思いますが、こういう人たちはもう信じちゃってますから、何を言っても聞かないでしょうしね...。
あとはこちらとしては真剣にならずジョークのネタとして笑い飛ばすぐらいしかできません。「バカじゃねーの、あんなの信じちゃってpgr」ぐらいがちょうどいいかもなー。ほんと脱洗脳(デプログラム)するのは本当に近しい人ぐらいでないと割に合いません。
あとは真に受けている人たちが死なないことを遠くで祈ることしかできませんよね。
信じている本人が死ぬのはまぁ自業自得なのですが、これで子供とか亡くなったりしたら目もあてられません。
あとデマ対策もそうかなぁ。デマが出てくるたびにTwitterで話題になるんだけれど、Twitterの頭の痛いところは、拡散するとコントロールが難しいという点。3.11のころもそうだったんだけど、たしか地震でサーバーラックが倒れて体が挟まれたという自作自演のネタが壮大に広がっていましたが、ほんと、なんとかならないものかなぁ。あとコンビナート火災で有毒物質が落ちてくるとか、ほんといろいろありましたよねぇ。
拡散するなら公式RTで。出所がわからない、直接自分がどうにかできない問題については、話は聞いても留保する。これぐらいしかないですよね。
なんていうか、ほんと、バナナがダイエットにいいという番組が放送されればスーパーからバナナはなくなるし、そんな番組がやらせだったなって話は遠い過去になったのか、今度はトマトがスーパーからなくなるとか、もうほんと、バカじゃないの?
ダイエットなんて結局のところ、インとアウトのエネルギー量の差が問題なわけだから、インを見直してアウトを増加させバランスをとるしかない。で、たまったエネルギーはアウトをインより上げることで消費するしかない。楽してダイエットなんて出来るわけがない。
無論、自分だって情緒というか成り行き任せな一面もありますから、他人がどうこういうわけでもありませんが、少なくとも自分が見ておかしいなぁと思うことについては黙っているか笑い飛ばすか「ばーかばーか」というのはこれからも続く...のかなぁ。
(結論ないままこの話、終了 汗;;;;)
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