2023年3月4日土曜日

合衆国海軍通史 私家概要 コラム1

 コラム1. 戦列艦、フリゲート、ブリガンティン、スクーナー……そして海軍の階級について。

 ここで色々ご説明を続けるまえに改めて帆船時代の船の区分や階級制度について簡単にご説明したほうがいいでしょう。ただしこれも変化が多いため、一八世紀中ごろ、という認識でよまれることをお願いします。

 当時の主力艦はだいたい以下の区分という理解で良いはずです。


 戦列艦(Ship of the line

 外洋帆船として一五世紀より広がったキャラック船は、後にガレオン船となり戦列艦として主力艦艇として扱われました。

 二、三層の甲板をもって五〇門以上の大砲を搭載した大型艦で、一般に海軍の隻数としてカウントされるのはこの艦種でした。

 イギリス王立海軍では搭載する砲の門数とサイズによって一等艦~四等艦と区分がありましたが、五〇門~六〇門を搭載していた四等艦は一七五六年に実質廃止されています。

 五〇門搭載艦はフリゲートと見なされる形となる一方で、六〇門前後搭載艦は、若干数、小型、喫水が低いということから北米海域や北海海域などで一部の海域で使われていたという記述もあります。くわしくは英語版wikipedia「Rating system of the Royal Navy」(https://en.wikipedia.org/wiki/Rating_system_of_the_Royal_Navy#Royal_Navy_rating_system_in_force_during_the_Napoleonic_Wars)などをご確認ください。

 


 フリゲート(Frigate)

 現代の艦艇でも生き残る艦種の一つでもある〈フリゲート〉。

 この時代背景を語ると些か複雑です。時代によってもサイズが異なったりしますので、以下の説明は革命戦争時代だと思っていただければ幸いです。

 フリゲートの語源は「フレガータ」(fregata)からとも言われ、地中海のガレー船からの発展系でした。十六世紀後半、オランダ共和国海軍が作り出した細い船体を生かした高速軍艦はイギリス王立海軍でも取り入れられるようになります。一七世紀の頃には、五級、六級の軍艦として取り扱われるようになりました。

 概ね革命戦争当時のフリゲート艦として基本となるのは一七四〇年のフランス海軍フリゲート艦〈メディ(Médée)〉であろうとされています。八ポンド砲二六門を上甲板に搭載し、三八〇トン、長さ三七メートル・幅一〇メートルという長い船体でした。

 イギリス王立海軍は七年戦争で、フランス海軍のこのフリゲート艦を多数拿捕し、その思想と技術を取り入れることになったようです。砲を下層甲板(ガンデッキ)に収納することなく上甲板に設置していることが特徴的でした。これにより喫水線上の構造物の高さが抑えられ、軽量で高速性を獲得することになったわけです。

 イギリス王立海軍は革命戦争前後、二十八門搭載の有名な〈エンタープライズ〉型フリゲートなどが運用されていました。このように大型フリゲートをグレート・フリゲートとして五等艦、扱いとし、従来の小型な二〇~二四門までのフリゲートを六等艦として区別するようになっていました。

 フリゲートの武装は戦列艦に比べると貧弱ですが、細い船体と三本マストがもたらす快速力は魅力で、海戦に先駆けての偵察や通報任務、それ以外であれば通商破壊、あるいは私掠船排除にも使われました。私掠船同様、敵国民間船、あるいは私掠船そのものを拿捕した場合は売却することで乗組員らに利益が出ますからして、乗組員にも懐にも良しという魅力的な艦サイズでもあったわけです。言わば現代軍艦でも言われるところのワークホースとして非常に使い勝手が良かったとも言えるでしょう。

 一方、大陸海軍では先にも書いたように徴用・改造した武装商船とは別に新規のフリゲート艦を一三隻建造することを決定していました。大陸海軍は、戦列艦を建造することなくフリゲートを大型化する方を選択した形でした。

 この時、作られたフネが三二門搭載のフリゲートで、USS〈ハンコック〉に代表されるフリゲートは大型で快速でかつ武装もイギリス側より強力でした。

 これは後の創設された合衆国海軍の最初のフリゲート艦でも見られたのですが、アメリカ創設期の帆船軍艦の特徴ともいえそうです。

 イギリス側も単艦行動中に接敵されると拿捕(降伏)してしまうケースもありました。〈エンタープライズ〉型の〈フォックス〉もそのケースだったりします。……もっとも、その後、逆に英国が〈ハンコック〉を拿捕。合わせて〈フォックス〉を取り戻し……次はフランス海軍に拿捕されるのですが。ともかく、イギリス王立海軍にとって、大陸海軍の建造する大型フリゲートは使い出がありました。拿捕したものをはじめ、時に沈んだ船も揚収して、再利用していたりもするほどでした。


https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Fox_(1773)#/media/File:Hancock_Boston_Fox.jpg (2023/02/16)


  建造されたフリゲート、USS〈ハンコック〉は以下のような形でした。


NH 72801-KN "USS HANCOCK, 1776"

フリゲート艦〈ハンコック(Hancock)〉。全長(バウスプリット含む)41.63 m(136フィート7インチ)、全幅10.82m(35フィート6インチ)、乗組員二九〇名。一二ポンド砲二四門、六ポンド砲一〇門搭載のこの艦は数奇な運命とも言えます。建造は一七七五年十二月に建造が開始され、一七七六年四月に任務に付きます。ところが一年あまり後の一七七七年七月にHMS〈レインボー〉に拿捕されイギリス王立海軍のHMS〈アイリス (Iris)〉に。船そのものは良く出来ていたようで快速でならしたようです。その後、同じく作られた大陸海軍のフリゲートを拿捕するなど実績をあげたものの、革命戦争後半、アメリカに加担したフランス海軍のフリゲート艦〈エグレット〉に拿捕され、フランス海軍のものとして革命戦争を戦うことになるのでした。

https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/numerical-list-of-images/nhhc-series/nh-series/NH-72000/NH-72801-KN.html 


 ただし、大陸海軍のフリゲートはその高評価と裏腹に運用期間は短いものになりがちだったのですが、その話はまた後ほど、と致しましょう。


 スループ(Sloop-of-war)、コルベット(Corevette)

 ここから艦艇区分の闇がさらに深くなります。というのも、フリゲート以上に時代背景や国によってサイズ、用途が同一だったりするのに名前が違っていたり、その逆もしかり。ということになるのです。

 例えばスループですが、これはイギリス王立海軍の一般的な使い方としてフリゲート以下、六等艦より下の艦艇のことを後に説明する船種――帆装やサイズによる違い――に関わらず、ひっくるめてスループと読んでいたのです。英語で読むと、Sloop-of-warとして区別がつくのですが、日本語訳ですとさっぱりわかりませんね。十八門前後、二〇門までの大砲を装備している船で乗組員数は概ね一〇〇名前後の規模感だと思っていれば間違いがありません。

 コルベットは同サイズの艦艇をフランス海軍で呼称したものとなります。ナポレオン戦争以後、イギリス王立海軍もスループよりさらに小さい船を同様にコルベットと言いだしたので混迷を深めていくのですが、まずはこの程度の認識で良いと思います。


 上記のような艦種とは別に帆装様式による帆船の種類もあります。


 スクーナー(Schooner)・ブリガンティン(Brigantine)

 一般に中型帆船で、概ね二本か三本のマストからなる船がスクーナー、ブリガンティンと呼ばれている船です。当時の商船に多かったようです。そのため、後述する私掠船などの多くがこのタイプだったそうです。

……スクーナーが二本マストで縦帆(船の中心線に沿った帆)があるタイプで、ブリガンティンがマストにある帆が横帆であることが特徴的でした。

 スクーナーの例。二本マストに縦帆があり、メインマストから艦首に向けて前帆(ジブ)があります。場合により艦首から伸びた棒、バウスプリットがあるのもありました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sail_plan_schooner.svg (2023/01/18)

 上の図ではラグセイルと呼ばれるそれまでの三角帆から前部を切り落としたような形ですが、機能面ではかわりません。帆柱(マスト)と支索(ステイ)で端を固定された縦帆のメリットは風上の逆風でも切り上がり、ジグザグに前へと進めることが容易でした。

 前帆(ジブ)は、風上航(クローズドホールド)させるための向きを変える(タッキング)に用いたりするのに用いられます。


一般にブリガンティンと呼ばれるかのが二本マストのうちのメインマストが横帆で、残りが横帆、縦帆の組み合わせであるもの。二本マストすべてが横帆になるのがブリッグとなります。横帆ですと追い風の時は最適ですが、縦帆に比べると切り上がり能力がたりません。そのため、横帆・縦帆の組み合わせで良いとこどりしようとしたと考えると良いかもしれません。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brigantine.png  (2023/01/18)


アメリカでは二本マストのうち横帆と縦帆を組み合わせたハーフロマイトブリッグ(hermaphrodite brig)が一般的にブリガンティンと呼ばれたと言われています。


https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=File:Sail_plan_brig.svg (2023/01/18)


 スループ(Sloop)、カッター(Cutter)

 この他にもより小型の一本マストの船舶を指します。スループはジブが一枚のみでマストが艦首より。カッターはジブが複数で、マストが船隊中央にあるのが特色でした。

 現代のヨット相当と見て良く、一般に小型、沿岸航行向きの船舶でした。


 概ね上記のような区分ですが、時代により特徴も変わりますのであくまで目安程度に考えてください。


 

 階級制度のアレコレ

 階級(Rank)と書いたものの、実際のところ、この時期は現代海軍・軍隊における階級、というより役割(Position)、あるいは役職の意味合いが強いところがあります。

 さて、上記でご説明した『軍艦以下』のスループ艦を扱う艦長職をこの当時、イギリス王立海軍ではマスター・アンド・コマンダーと呼びました。航海長(マスター)兼務(アンド)海尉艦長(コマンダー)というわけです。

 ※一七九四年に改正され海尉艦長(コマンダー)とだけ呼ばれることになります。アメリカ大陸海軍は独立戦争時、海尉艦長として設定されていたようです。

 一般にスループ艦以上の艦艇では、艦長、一等海尉、二等海尉と士官が配属される一方で、准士官の役職として、上から航海長(マスター)・船匠(カーペンター)・掌帆長(ボースン)・掌砲長(ガンナー)・主計長(パーサー)と続いていました

 ちなみに当時のイギリス王立海軍では、士官はLieutenantという言葉だけで呼ばれて階級は特別ありませんでした。これが階級ではなく役割ありき、という点でもあるのですが、士官は士官候補生から選ばれ名簿に記載された順に、一等海尉、二等海尉……と続きます。時に訳語として一等海尉が先任将校として書かれる場合もあります。

 小型艦艇では、経験と能力のある航海長の役割を艦長を兼ねることになるので、航海長兼海尉艦長と呼ばれたわけです。一般に徴募されたりなんだりでスタートする水兵あがり、あるいは後ろ盾のない海尉として栄達できる最上位の役職でもあり、海尉艦長(コマンダー)になるためには昇任試験を受ける必要がありました。現代の軍隊階級で考えればここまでが尉官、大尉だと言えます。

 さて、士官が多い中でも海尉艦長からさらに上、フリゲート(五等艦)以上の艦長職、艦長(キャプテン)になるためにはさらに門が狭くなります。イギリスの海軍委員会(現在の海軍省)からの推薦をうけて国王が勅許として任命することから、海洋小説(の日本語訳)では「勅任艦長」として呼ばれる(ポスト・)キャプテンとなる必要がありました。

 いささか脱線すると、この勅任艦長、小説『ホーンブロワー』や『オーブリー・マチュリン』(前述した映画、「マスター・アンド・コマンダー」の原作)で重要なワードとして出てくるのでご存じの方もいらっしゃるでしょう。

 勅任艦長は有力貴族なり提督らの引きがなくしてはなかなか就任できず、就任できないとなると陸に上がったままで半給海尉となります。海上に出ればまだ収入の目もありますが、半給海尉では生活もままならない……というのは小説ホーンブロワーシリーズで、主人公のホーンプロワーが陸に上がって賭けポーカーで生計を立ててるという下りを読むと、透けて見えるものもあるかもしれません。

 実際に、役職としては艦長(キャプテン)と呼ばれており、勅任艦長、ポスト・キャプテン、とは呼ばれたわけではないようですが、王立海軍艦艇の艦長として国王に任じられる、という意味では勅任艦長という言葉は非常に魅力と威厳を感じますね。

 勅任艦長から選ばれるのが、一隻以上の戦隊を率いる代将(コモドール)になります。臨時、あるいは期間限定の役職で、艦長職の兼務もあれば、艦長とは別に任ずる場合もあったようです。

 アメリカ大陸海軍もそうですが、その後の合衆国海軍も代将以上の階級はしばらく存在せず、幕末、日本に来寇したペリー提督も、実際の階級は代将(コモドール)でした)。


 一方、イギリス王立海軍のほうを見れば、歴史的経緯もあっていささか面倒です。詳しく知りたい方は、赤色艦隊など検索して調べていただきたいのですが、提督(アドミラル)、副提督(バイス・アドミラル)、後任提督(リア・アドミラル)という階級(役目)に分かれていました。提督の指揮のもと副提督が戦闘を行い、艦隊後方の小艦艇群を率いるのが後任(後方)提督であると考えればなるほど、となります。

 よって現在の一般的な海軍階級として、大将、中将、少将がそれぞれ割り当てられているのもわかるかと思います。

 ただし、イギリス王立海軍はその歴史的経緯から、赤色、白色、青色の三色に分かれた艦隊にさらに分かれており、昇進順序はこの艦隊順でした。すなわち、青色艦隊少将(リア・アドミラル・オブ・ザ・ブルー)から白色艦隊少将(同・ザ・ホワイト)、そして赤色艦隊少将(同・ザ・レッド)と続き、青色艦隊中将(バイス・アドミラル・オブ・ザ・ブルー)と続くという形です。




https://en.wikipedia.org/wiki/Coloured_squadrons_of_the_Royal_Navy#/media/File:British_admirals_promotion_path.svg


 以上の説明はイギリス王立海軍のケースですが、改めて話を戻して大陸海軍の場合は、と言うと創設されて間もないということもあり、極めてシンプルで、艦隊司令官は代将、艦は艦長あるいは海尉艦長と、まぁ非常にわかりやすい体系でもあったわけです。



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