(合間みて書いていますので、途中のものがあります)
# 「まおゆう」の衝撃
まおゆう魔王勇者 1「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」 橙乃 ままれ エンターブレイン 2010-12-29 by G-Tools |
「まおゆう」(「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」)は今年の春、すごい流れをおよぼしました。年末になって本となって現れるなんて当時誰が思ったでしょう?
大体小説や作品はその時々の時代に住む我々の多くが求めているものを提示していくものだと思います。たとえば80年代のF.S.S.やガンダムなどにあった設定とかの豪華主義?(これは今も続くけど)、90年代のエヴァなどの内面を深くえぐる話や、00年代セカイ系、それを受けた決断主義。そして象徴的なことに2010年になって、「まおゆう」が広がっていきます。いうなれば「ルール(世界)再構築」です。
絶対普遍なシロモノはどこにも無いのだ。良き世界は作れるのだ。それは自分自身にとっても、世界にとっても。というのはたぶんある意味この時代の閉塞感を表しているのかもしれないなーとは思いますが、自分の心情ととても合致しています。
最近書籍化が決まった「ログホライズン」も、ルールを見失った世界での再構築だったり、実はそう見えて裏ではルール改編が行われている真っ最中だったりするのでとても大好きな物語なのです。はい。
#ネットでの小説から、書籍への流れへ。あるいはその逆としての電子書籍化。
ゲート―自衛隊彼の地にて、斯く戦えり〈1〉接触編 柳内 たくみ アルファポリス 2010-04 by G-Tools |
「まおゆう」「ログホラ」だけではなく、今年は自分が読み始めたネット・ルベルも数多く、その中でも書籍化という流れがあったりしました。
「ゲート」もその一つですし、「大友の姫巫女」も電子書籍化が決まったようです。
たぶん、ネット・ノベルの多くがリアルの小説ではすんなりとは出ずらい形式である場合が多いです。「ゲート」は...まぁ、自衛隊ネタ持ち出すとアレとかソレとか色々と面倒ごと持ちかけてくる人は多いでしょうし、ああまで(傍目には)ベタすぎる設定を持ち出してくるとすんなりとは...。「大友の姫巫女」はなんというか、本当、マジビッチなノリがありますから(苦笑)。
ともかくそうはいっても、それが(作者の持ち出しがあったりする場合もあるとはいえ)書籍化するというのは、同人誌化とはまた違った感慨があるのは事実です。
さて、一方でネットからリアルへという流れがある中で年末大きく動いたのは、「ネギま!」の赤松氏によるコミックの電子書籍化、Jコミの動きでしたね。
iPad登場からいきなりそれまでアチコチで言われていた電子書籍の動きが活発になりました。無論、googleの動きもありましたけど。でも、その大半がハードウェア、あるいはソフトウェアメイカーが作り出した特定のデバイスを経由しなければいけない、ある意味囲い込みのようなスタンスでは問題があるわけで、何が悲しくて読みたくて買った本が特定のデバイスを経由しないと見えないわけ? 本が図書館でもなくベッドの上でも風呂の中でも出先でも見たいのにソレが出来ないのって退化じゃね? と思っていたら、当の作者サイドのほうから「じゃこんな対応はどう?」というのが革新的でしたね。
「絶版作品を中心に作ります。広告は入れますけどクリックすると作者にリターンがあります。DRMフリーでコピーしていただいてかまいません。読みたいデバイスで読んでください。国内や海外でスキャンレーションされている方もJコミ経由で広告を挿入させてもらえれば、認知します」
この衝撃はすごいものがあります。Jコミは、(恐らく赤松氏本人が語るように)、絶版漫画をターゲットにすることにより作者も、出版社も、そして読み手も誰も損がない作りを提示してみせました。1月中にスタートする次のテストでどのような結果が残せるか注目したいです。
ついでに本文から離れて書くと自分はiPhoneやiPadのようなガジェットについては、正直「うーん」と考えているとろがあります。ガジェット単体としては、いいものです。先進的さはその思想をうまく形に表しているところで、ソフトウェア重視です。戦後日本のハードウェア重視のアプローチ(常に新しい機能を追加しないとユーザー訴求に対応できないという常識)という対比でもうなるところがあります。しかし、ソフトウェア重視ということはいうなればパクられやすい、という点でもあります。となると、先行者としてはパクられても優位を保てるようにブランド化を図る必要があります。これはハードウェア(クルマ、時計、香水、ファッション)でもあることですが、ブランド化は信者を生み、信者はその信仰たる相手の過ちを認めませんから厄介なんです。あとAppleが果たしてカリスマが居る間はともかくとしてその後どうなるのかなぁと思うところではありますね。
#「アイドルマスター2」騒動が見せたスレ違い。幸せな関係は見せかけだったのか。
9月にあった頭の痛い問題でした。これは色々厄介な問題が絡むのですが、ゲームとしてのアイマスと、それ以外の要因で盛り上がっているコミュニティのすれ違いというか、ディレクションの間違いというか...なんにせよ、アイデアとしてはいい物でも出し方間違えると全部台無しだよ!という一例でしたね。
バンナムスタッフがもう少し誠意と真摯さをもって、ちゃんと告知すればよかったものを中途ハンパな形で提示するから話がややこしくなります。竜宮小町も、あの男性組も、ちゃんと説明するか提示方法を考えれば、新しいものとなったでしょう。新しいものを組み込まないといけないという焦りがあったのかなぁ。
一方、受け手のほうも頭が抱える展開が待ち構えてました。まぁ、思い込みとかが激しいというか。投票したからってすべてが覆るわけでもないんですが、もう少し騒ぐときは「落とし処」を考えないとなーとは思いますけどね。この歳になると!(苦笑)。
自分の思い通りにならないからって、それを数という力によって押し通そうというのは、その数に含まれない人達にしてみればキモイ、嫌悪感が沸く話でもありますね。数の力というのは、その周辺の人達も取り込まないと力にならないんですよね。
ニコマスにも流れがあったんですけど書くと色々面倒だし、正直...なぁというところではあります。
#「表現の自由」という原理原則だけでは立ち行かない。
東京都の規制問題。いろいろとblogでもTwitterでも書きましたけど、そりゃ表現の自由は重要だけど、何か事あるごとに「表現の自由」とか「規制の恣意的運用」とかもうお腹一杯だよ!というのが正直なところ。
そりゃ在るより無いほうがいいに決まっている表現規制だけど、それは今に始まったことじゃない。表現の自由、思想の自由は原則として必要だけど、読み手が必ずしもそれを理解しえない立場で読みうることもある。コントロールしないといけない年代もちゃんとあるでしょう。
あと恣意的運用はね、うん、あるだろうね。人間のやることに恣意的なものが入らないわけがないという悲観的前提にたってどう空文化させていくかを考えていく必要があるなぁ。警察の利権? ま、そういうのも踏まえてどう味方を増やして、制限をかけていくか。より上位の権威と権力をもってくるようにしむけないと。
もう、原理原則を唱えているだけではどうにもいかない状況をちゃんと踏まえた上で、どう自分たちにとっても、そして漫画の表現方法に疑問を口にする人達にとってもいい落とし処を考えていこう、っていうのを考える時期なんじゃないのかなと思うわけですよ?
自分は前にも書いたように、自主規制ルールの明文化と、レーティングとゾーニング(コンビニ売り禁止も含めて)の徹底、18禁コミックの流通段階からのパッキングしかないかな、という意見です。
今の状況はまるで戦争始まってから「戦争反対」を唱えているようなもので、もうそんな時期は過ぎ去った。もう漫画の表現規制反対の立場としては戦略的劣勢なわけで、戦術的勝利に拘泥しないで、どう「納得させた」終わりを探していくかということしかないと思うけどなー。
(あと立場ある人は、そりゃポジショントークってのもあるから、いちいち敵視しなくてもいいんじゃないのっていうのもちょっとはある。あとは人は老いて頑迷になるのは誰しもあるんじゃないのっていうのもメモとして)
(あと、この世の中きれいごとではすまないんだよって話はあるし、興味のある子供なんて漫画をバイパスしてネットのほうでアダルトな方向へ走っていくだろうね、っていうのもあるからしょうがないこと言い出しているなぁとは思うけど、でもどうみても未成年ですありがとうございましたというキャラがアレやコレやされている作品とかが本屋で特段R-18とも書かれていない雑誌で連載されていて購入できる、というのが漫画に興味がない層に対して訴えられたとき、自分はそれを「表現の自由」という言葉だけで納得させられる自信がないのです。「表現の自由」だけではない「分別の教え」も必要じゃないのかな、っていうのが正直なところ)
#「ニコニコ動画」の新しい地平は?
えーっと、今年はアニメチャンネルのおかげで、地方在住者には非常に助かりました。
なんだかTV局スタッフもかなりニコニコ動画にながれているようですね。
でも、「はやぶさ」帰還のときのgdgdっさぷりを見ていると正直まだネットインフラは脆弱すぎます。ニッチなコンテンツとしてはいいけれど、これがメジャー・コンテンツサービスとしてはどうなのか。といわれると疑問です。
ま、そういうことを差し引いても、TVに見るものがないとか言われている昨今、低コストでアレコレできる強みを生かして色々楽しいことは出来そうな気がしますよ。
#「ネット」と「現実」はかけ離れていないけど同一でもない問題。
ちょっと自分の中でまとめきれてないのですが、「ネット」と「現実」は個人としては同一(個人の手の及ぶ範囲、価値観の範囲)だとは思いますが、その集合体としての民意はまだまだ合致はしないだろうな。というのが正直な意見です。何の話かって? よくある政治アンケートとかの結果の話ですが、結構現実の結果と食い違っているケースが見られませんか? 一つには同調圧力もあるでしょうし、ネット運用の世代的偏りと現実世界の世代人口の偏りとかもあるので、おおむね政治的アンケートの結果は現実社会と足して平均出しておけぱそんな感じじゃないの。っていうのが実感かなぁ。
あと、個人的に以前、著作権問題でMIAUのアンケートでテンプレにしたがって送った結果、「テンプレなので考慮しません」(概ねそんな意味)という文部科学省の担当者コメントを読んで頭を抱えてから、あまりテンプレとか、投票にちょっと引いてみている自分もいるんですよね。
そんなわけで、ネットで盛り上がっている投票、電凸、拡散とかそんな運動に参加しようとするときは義憤とか怒りとかコミットしたい意欲を感じていても一呼吸置いて、それが本当に正しいのか、有効なのかとか考えてみるのがいいでしょうね。
義憤を感じて電凸したりなんかりして掲示板でネ申扱いされることを快感に思うなよ。と思うわけです。
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