2004年12月30日木曜日

TOKYOブローカー 1

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TOKYOブローカー 1 (1)
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楠 みちはる
講談社 (2004/12/27)
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元地上げ屋で今は中古外車のブローカーの寺田、彼の仕事仲間でありブローカーでもある元ホストで、JB(Sex machine)の異名をもっていた、ダッヂ・バイパーを乗り回す仕黒の二人に、ノブが出会ったことにより、彼は二人からクルマとオンナ、そしてブローカーという存在を通して「大事なこと」を教えられていく、そんな物語だったりします。
まぁ、なんていうんですかね、湾岸ミッドナイトがクルマと人生というフレームだったら、こっちはクルマはあまり表に出ず、オンナとブローカー(経済)と人生っていうようなフレームで物事を語るところは相変わらずです。(とはいえSEXシーンなんてほんの数コマで、大半はそれまでにいたる能書きとその後の能書きに費やされるわけなのですがw)

「ちゃんと考えろ、考えるのはタダなんだから。それっきりの一度きりと、二度めもある一度きり・・・その意味は全然ちがうよな」(P148)

含蓄あるなぁ(w ほかにも色々ありますが、というわけで、オススメで。いや、それよりも湾岸のほうを勧めてもらいたいっーところもあるんですけどね。

HELLSING 第7巻

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HELLSING 7 (7)
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平野 耕太
少年画報社 (2004/12/27)
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おすすめ度の平均: 5
5 最高の出来栄え


"少佐"に率いられて吸血鬼化した最終大隊がロンドンを阿鼻叫喚の地獄絵図に染め上げ、英国の守り手であるヘルシング(王立国教騎士団)本部を襲うゾーリン率いる中隊相手に傭兵隊長ベルナドットが斃れ、セラスは彼の血を吸い、本物の吸血鬼と成り果てる。インテグラの執事であったウォルターが敵の手に堕ち、一方のヴァチカンの騎士団もまた混乱に乗じてロンドンに乗り込み、ヘルシング=アーカード/セラス、"中佐"=ナチスSS、マクスウェル大司教=ヴァチカンの三つ巴の決戦が始まろうとしていた・・・というわけで、待ったなぁ。ようやくですよ、今回はもうベルナドット隊長で決まりではないかと。もうこれで話が進めばいいのですがね(w

2004年の最後に(2)

CA20041230

本の溜め込みすぎだー。

というわけで目下最大全速で読みふけり中。いや、コミックはいいんだが・・・小説が。「万物理論」と「戦争の法」がネックか。他にも再読本もあるしなー。ともかく目下もりもり読書中。ああ、夕方からはちょっと恒例の旅に出かける予定なのだが。

というわけで、読書の真っ最中。ああ、頼まれていたDVDへのデータも焼かないと!、意外とやることが多い年の瀬です、はい。

2004年の最後に(1)

こういう話はブログでは相応しくないと理解しているが、どうか赦してほしい。

この文章を読んで不快になられた方がいたとしたらことさら平身低頭するしかない。


ちょっとした記録として、の話です。長いのでご了承を。


 


ようやく雪もなくなった春先の話だ。

その電話を受けたのは、出張先からで、なおかつ間が悪いことに納品間際だった。


その時はまだPHSだったので、同行していた社員の携帯だった。職場からで、
父親の入院先の病院から危篤の知らせだった。慌てて病院に電話すると、看護婦から父親が亡くなったことを告げられた。
えらく現実感のない展開にさほど混乱せず、同行した社員に半ば言われるがまま、最低限のセットアップだけ済ませて、
JRに飛び乗って札幌までとんぼ返りする羽目になった。



父親は北海道の東部、帯広地方の片田舎の出身だった。次男坊であることからそうそうに独り立ちすることを迫られたためか、
北海道人の親族によくありがちな選択、つまり、自衛隊に職を選んだ。十勝沖地震の時の救援に赴いたことをよく酒の席で語っていたし、
M2ブローニング機関銃を扱う分隊にいたようで(詳しくは聞くことはなかったが)、当事は結構ムチャをしていたらしい。
最終的には札幌に新たに創設されたばかりの第11師団の偵察隊が最終配属先だったようだ。
部隊の立ち上がりまではいたと以前話をしていたのを思い出す。今、HPでその偵察隊を調べると第11偵察隊のようだ。

幼少の頃はちょくちょく真駒内の駐屯地に電話をかけては、
まだ部隊にいる知人と電話をとっていたことを思い出す。



父親は、よく言えば豪放だったし、悪く言えばアバウトで後先考えない人物だった。ついでに見栄っ張りなところもあった。
また思い込みと自分に対する根拠のない自信からか、まともに人生設計を考えていたとは考えられず、
決して人付き合いもいいタイプではなかった。真っ当に考えれば自衛隊にいればよかったはずと思うのだが、
そうすればおそらく自分は居なかったのか。ともかく、事実母親のぼやきも大抵は老後の心配すらしていない父親に向けられていた。



自衛隊を辞したあと、運送業に転職したため、事故品扱いになったガラクタを持ち込んではそのままにしっぱなしという、
北海道の田舎人らしいいい加減さがあった。ゴミを始末するのにさえ金がかかる。と言ってもあまり深刻ぶっていなかったし、
母親と自分はそのおかげで頭を抱えることが二度三度とあった。



また定期的といっていい割合で交通事故関係のトラブルに巻き込まれるのも家人としては閉口していた。
まともに本社づとめをしていればよかったものの、何を思ったのか、
トラックを個人で購入したために稼ぎの大半を車検やなにかと取られたことを考えると、本当にアバウトすぎて何を考えていたのかと、
今でも思うのだが。また、自家用車については自分がほとんど購入したり、保険に入ったり、車検などの手続きをしたり、本当だったら、
これって・・・と思うこともないわけではなかったのだか。


とはいえ、小学生時代、夏休みとなると自分をそのトラックに乗せて、
田舎やあちこちへと連れていってくれたのを思い出す。ニコチンの匂いに満ちたトラックの後部にある寝台スペースに横になり、
車酔いに戦っていたのもいい思い出だ。別に車の旅は苦にならなず、どちらかといえば深夜に移動しがちなのはこのせいかと思わないでもない。


酷評をつづけているが、父親は息子である自分には甘かった、と思う。
佐藤大輔風に言うことを赦してもらえれば、子供の教育に金をケチるような下卑た人物ではなかった(出来が悪いのは自分の問題であるが)。
80年代に自分が親戚に連れられてみた映画「TRON」にハマってパソコンに興味を示したときに、父親がNECのPC-6001(いや、
mk2が出る寸前だったか後だったか。ならmk2買ってくれればいいものを、
そこらへんはやっぱりアバウトだったのだ)を自分に買い与えていなければ、今、自分がこの職についている可能性もなかっただろう。


また、おおよそ、タバコ以外のことに関して、
特に酒方面は自分が幼少の頃から教え込むところがあり小学生のころから妙に酒に強くなってしまったことも父親の一因のはずだ。もう一人、
ガキの自分に酒の味を教えさせた
叔父曰く、自分の父親から悪いことを教わったから、
そのお返しとして、自分にあれこれと教えているのだ。と言っていたのだが。酒についてはたった一つ、
酔っ払っても醜態は見せるなと告げられたことを思い出す。今でもそれを守っているのだが。


また、中学から高校進学するにあたって、進路をどうするかは自分が決めた。
三者懇談の時に担任教師から散々止められたが、興味のある電子科へ進むことを選んだが、
流石に滑り止めの私学を選択するときには二の足を踏んだ。当事、自分の中ではかなりの確立で私学へ行くことも覚悟していたのだが、
両親に学費の負担をかけさせることは躊躇ったのだが、そのことを告げると父親は「かまわんさ」と一言言ったきりだった。まぁ、
大方の予想を覆して自分がまんまと最初の志望校へ合格してしまったので、実のところ胸をなでおろしていたかはしらない。



最初の職を選んだものの、
家を離れた自分が病気に倒れたときには後々母親が語るのを聞けば父親は自分に無理を強いたのではないかと後悔していたという。
確かに家を離れるにあたり、「さっさと独り立ちできるようになるくんだな」と送られたが、そう言われるとあの時病院から父親にかけた電話で、
何かを言い出しかねていた父親のことを思い出す。その件に関しては特に改めて聞くこともなかったが。


実家に戻って札幌で今の職についてから、
正月となるとあれこれ卓を囲んで二人きりで酒を酌み交わしつつあれこれと話をするのが毎年の恒例となっていた。
最近は、定年まであとわずかということだったが、運送業の担当が替わり、
中々の激務だとこぼしていたが、あと数年の辛抱だよと話しをしていたが、その時はもう病魔が確実に蝕んでいたのだろう。
えらく痩せてきていると気がついたのは、体の異変を訴え始めてからだった。腹が張り、
傷みが止まらないといわれて触ると筋肉のこわばりがあった。自分が小説やなにやらで仕入れた医学知識が頭の中で駆け巡り、
尋常ではないことに気がついたが、車に乗せて緊急病院へ駆け込むことがその終わりの始まりだった。


緊急病院の診察では、極度の便秘で硬い便が腸に固まっている状態だ。といわれたが、
それにしては傷みが続きすぎると思い、渋る父親をせきたてて次の日に近くの消化器科病院へ行き、簡単なレントゲンを取ったところ、
医師がいささか険しい表情を見せていたのに気がついた。リスキーな状態で、癌かと思ったが、その時はその時だとあまり深くも考えずに、父親に明るい口調で、「でどうするさ、
癌なら告知アリにする?」と聞いたところ「かまわん」の一言で、告知の書類にサインをした。次の検査日には自分が来るまでもないと思い、
母親に連れてってもらうように手配をしたが、これは自分の最大の手落ちだったと今では思っている。



病院から出してもらったクスリである程度は傷みが取れたらしいが、それでも体調が悪いという。間が悪くて仕事の納期が近づいており、
おまけに周囲の手際のせいでトラブル三昧だったため、自分のほうもバタバタしていたが、言い訳にはならない。流石に様子がおかしいので、
病院の宿直医に話を通して、仮入院という扱いにしてもらい、納品日当日未明に病院へと連れていった。



今でも思い出すのは、支度をしている自分をじっと見ていた父親の姿だ。視線に気がついたものの、あの時父親は何を言いたかったのか、
どうして言わなかったのか。そして自分もどうして言わなかったのか。

病院へ連れて行き、空き病室のベッドに寝かされた段階で、父親に、「まぁ、出張だけど日帰りだから、あとでな」と言って、「ああ」
と答えたのが最後のやり取りになってしまった。

帰り間際、宿直医に呼び止められ、胃カメラの写真を見せられた。どう考えても尋常ではない瘤のようなものが見えた。いささか考えたあとに
「癌の腫瘍ですか?」と聞くと「はい」という答えだった。「今すぐどうこうというシビアな状況ですか?」「それは大丈夫です」
というやり取りを母親に伝え、動揺しないように告げ、仕事が終わったら速攻で戻ると話をして、病院を出た。



そして冒頭のやり取りに戻る。結果的に自分の判断は大間違いだった。

病院に戻って、医長から事の次第を聞く。「進行性の胃癌で、ステージ4で」と言われるが、難解すぎる言い方をするのに頭がきて、
「それってスキルスですね」と聞くとコクリと頷く。スキルスであれば完治は難しく、手術も難しい。化学療法か放射線治療しかなく、
余命をいくばくか伸ばすぐらいのものだ。頭の中でいらない知識だけがグルグル駆け巡る。





父親の死に目に会えなかったのは、自分が今後生涯に負わねばならない咎だ、と思う。





それからバタバタと葬儀の手続きをこなす羽目になった。驚くべきことに父親が数日前にしたためていたという手帳には、
自分を手間取らせないためか、親族の連絡先が書かれてあり、
こんなところで用意周到さをだすなら日ごろの健康に気をまわしておけばいいのにと思うが、正直ありがたかった。

葬儀事態は
無神経な親族の言い方にも腹を立てたが、
ありがたいことに葬儀は駆けつけてくれた中学時代の友人・・・数ヶ月前に自分の祖父の葬儀を取り仕切った友人と、
金銭面の計算に明るい友人のおかげもあって、収支も正常に、親族もある程度は満足させる形で終わった。



父親が後悔のない人生を送ったかは判らない。満足していかとも尋ねることはなかった。何故なら、
そんなことを考えるにはまだいささかなりとて早いと自分の中では決めつけていたのだから。





だが、そうではないと今では考えている。




葬儀の最中、どちらにしても父親は亡くなったことは事実であり、大切なのはこれからであり、優先順位を決して見誤るな。
と何度も自分に言い聞かせた。これからもそれは変わらない。

��月に交通事故で車が横転していても奇跡的に怪我一つなかったことは何かの幸運であったとしても、
人生はいついかなるときでも終止符をうつときがある。それは誰にもわからないのだ。

生きたいと願い、死んでいく人もいれば、そうではない人もいる。不意に訪れた何かにより死ぬ人もいれば、そうではない人もいる。
死にたいと軽々しく口にするぐらいならばさっさと死んでしまえと今でも思う。しかし、それでも・・・この世には、
そういう人に対してさえ生きていてほしいと願う人もいるのだということを忘れてほしくはないが。



すくなくとも生きていくことを願うのであれば、人生を楽しみ、真摯に生きていこう。そうであることを願い、実行していこうと今は思う。




 



絶望に効くクスリ 3―ONE ON ONE (3)

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山田 玲司
小学館 (2004/12/27)
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いいペースで出ている「絶望に効くクスリ」。うん、今回の話はいままで一番面白い人達が出ている。
無論作者の言い分を100%受け入れることはできないことはあるが(現状の世界と個の関係が今いちはっきりしないところがあるので)、それでも、インタビューの「おおっ」という言葉や考え方が、作者のフィルター越しに伺えるのが面白い。
個人的に面白かったのは絵本作家の五味太郎氏、「原則的に心の平和なんて求めちゃダメだよ。神様は無能なんだから」とか、禅僧の玄侑宗久氏の「渡り鳥が旅に出るときに話し合いしてますか? なんとなく旅立つんですよ。人生はコントロールできないからすごいんですよ」とかいうくだりが最高だったりする。
他にも同性愛者のエイズ予防に携わる医師とか、そりゃもう目から鱗の話とかがでてきたりするわけだ。必読だと思います。はい。

本当に読めるのか?(年末読書本一気一言コメント)その一。星界の戦旗(4)

調子にのってここ最近、年末に読む本を、という名目で色々と購入しつづけていたが、ふと思うと、これって読みきれないのじゃないかと思う量を買ったということに気がつく今日この頃。大体、ほかにもやること山ほどあるじゃん! 

というわけで、いままで読んだ本を一気に紹介しようかと。

星界の戦旗 (4)
星界の戦旗 (4)
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森岡 浩之
早川書房 (2004/12)
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おすすめ度の平均: 3.8
5 予定はどうなる
2 期待したわりには今ひとつ
4 星界の戦旗 4 (4)




待たせたなぁ・・・(苦笑)。えーっと、ラフィールとジントがあまり表に出ていませんな。長い長いブランクを埋め合わせるように世界をもう一度再構築して、もう一度、というのが実際のところでしょうか。
正直登場人物のイメージを思い出すのに苦労しました。時間があれば、1巻から再度読みたいのだけれど難しいかも。次はこんなに待たせることはないというらしいのですが、せめて三ヶ月内あたりに出てくれるといいのだけれどねえぇぇ。

2004年12月28日火曜日

あの島は一体どうなった?

スマトラ沖の地震による津波はインド洋沿岸諸国で被害をもたらしているが、ニュースを見ていて・・・
インドあたりまで被害が出ているってことは、はてディエゴ・ガルシアはどうなってんだろう?という疑問が生まれた。



ディエゴ・ガルシアはインド洋の小さな環礁の島なのだが(正確にはここは英国インド領)、結構あくどい手を使って(まぁ、
イギリス人らしいって言えばそうなのだが)島の島民を追い出したため、今、ここは米国と英国の軍施設しかない。
という形になっている(なにしろ、"http://www.dg.navy.mil/">米軍のホームページもあるぐらい)。ちなみに"http://members.tripod.com/~cartoonlife/diegoinfo.html">島の形はこんな感じだ。


イラン革命で中東の足場を失った米軍にとってみれば、このインド洋に浮かぶど辺鄙な島は恐ろしく戦略的な価値がある。
アメリカの恒久的な軍事施設は、インド洋ではここでしかなく、アメリカ本国・ハワイ・日本・フィリピンときて、
中東へと続くSLOC(海上交通路)の重要なポイントでもあり、航空機の燃料補給にも重要なポイントとなる。

事実、湾岸戦争、アフガン侵攻、イラク戦争と三度にわたる戦いではこの地からB-52などの爆撃機が飛んでいたりする。もっと言えば、
この場所は米軍の事前集積所ともなっていて、
師団規模の軍事車両を格納したままのAOE(高速輸送艦)が停泊しているとかしていないとか(この洒落にならない米軍の兵站能力については最近の軍事研究での連載が詳しい。
いつかまとまらないものかと待ち望んでいるのだが)。


2chの軍事板でもスレッドが立っているぐらいだが、あんな小島、大変だろうなぁとか思ってこのコンテンツを書いていたら、
極東ブログの作者の方が開いている"http://d.hatena.ne.jp/finalvent/">はてなダイアリーのほうで早速ニュースのピックアップがあった。


"http://www.abc.net.au/news/newsitems/200412/s1273118.htm">Deigo
Garcia military base unaffected by tsunamis
」(ABC)。まぁ、
タイトルだけ見ればおおよそわかるかと。



英語でもtsunamisって言うんだ。つーのは語源が日本からだから、らしい。台風もそうだっけか。

ともかく、今回の地震による津波だが、歴史上最大規模は520m(!)。
初めて読んだときは52mのタイプミスかと思ったがそうではないらしい。詳しくは、「ARTIFACT -人工事実-」さんのコンテンツ
"http://artifact-jp.com/mt/archives/200409/tsunami520.html">津波の世界記録は520m
」でどうぞ。



と、タマには珍しく時事ネタ+トリビア?ネタで終わったようでなにより。年末にかけて読書とか今年の総括をまとめている最中です。ではでは。