2023年2月4日土曜日

合衆国海軍通史 私家概要 1-2 アメリカ、その歴史について(2)

  さて初の恒久的植民地のジェームズタウンを巡る物語にはディズニーの映画のモデルともなっているポカホンタスなどの興味深い話もあるのですが、本筋ではないので省略しましょう。

 恒久的植民地となったこのジェームズタウンのあるバージニアでは以後も植民と開拓が進むことになり、十三年後の一六一九年には早くもこのバージニアで最初の植民地議会が開催されます。

 そしてもう一つの出来事もこの年に記録されています。

 イギリスの私掠船が、ポルトガルの奴隷船から略奪した二十余名の黒人をつれてきたと記されているのです。一六二〇年に行われた人口調査では黒人男性一五名、黒人女性一七名がいくつかの農園で仕えていた。とされており、皮肉にも、一六一九年にはアメリカを象徴する自治議会、すなわち民主主義と黒人奴隷という、その後のアメリカの光と影のような二つがすでに現れていたと言えそうです。


 ……ともかくバージニアを皮切りにその後も英国主導による植民地は各所に造られますが、その一方で、欧州各国も同様に北米大陸へと入植していました。

 例えばオランダは現在のニューヨーク突端をニューアムステルダムと定め、周囲をふくめてニューネーデルランドと呼びました。この他にもスウェーデンからも植民が行われます。

 とはいえ英国側の植民政策がわりと強力かつ大量に行われていったのは事実で、次第に十三にまとまった地域、自治政体をもつ植民地が並立することになりました。


 ただ一般に植民地と言ってもその成り立ちは各々、微妙に異なっていました。

 先にも書いたようにメイフラワー号に乗った人々のように――欧州で発生していたマルティン・ルター(Martin Luther)やジャン・カルヴァン(Jean Calvin)らによる宗教革命の流れを受けて発生したイギリス国教会内での改革派、つまり清教徒(ピューリタン)たちが迫害から逃れるように、アメリカ大陸へと渡り、彼らは巡礼父祖、ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)と呼ばれるのですが――自発的な植民によってつくにれたプリマスのような「社会契約に基づく植民地」、バージニアのように国王の免許状を受けて社団(企業・組合)による「自治植民地」、イギリス国内の貴族が国王の免許状を受けて作った「領地植民地」など、その経緯により植民地にも違いがありました。

 ちなみに最初期の「社会契約に基づく植民地」は後に自治植民地に吸収され、最終的には植民地のほぼ全てが、国王の代理人たる総督が統治する「王領植民地」へと変化します。

 ……ただこれらの植民地の多くは経済事情も、また住民構成も異なっていました。

 例えば先にご説明したバージニアはジェームズ一世時代の特許状により植民が行われたことから王党派の流れを組む一方で、より北部のマサチューセッツ植民地は同様に企業主導による自治植民地でしたが、さらに元を辿れば自発的植民地、プリマスなどの流れがあるために清教徒が多いために契約主義的な面もあり、これが後の革命戦争へと繋がる思想的な面でのはじまりでもありました。


 一方で、ニューヨーク植民地などは、王の特許状を得たヨーク公がニューネーデルランド、すなわちオランダの植民地を占領する形で行われた他、その西方地域ではウィリアム・ペン(William Penn)が国王の免許状をもとに〈ペンの森 Pennsylvania〉、すなわちペンシルベニア植民地となるのですが、ペンが清教徒革命から端を発した理想主義的かつ穏健派でもあり禁欲的でも知られる敬虔なクェーカー教徒であったことから、かの地にはクェーカー教徒が多く移住していくことになります。無論、それだけではなくカソリック教徒、あるいはフランスのユグノー教徒などが南部を中心に植民していました。

 このように、現在の合衆国州の基礎となる植民地(コロニー)はそれぞれの成り立ちも、ましてや宗教も異なる多種多様な植民地群でもあったのです。


 これら植民地の内情はどうだったでしょうか。

 まず新大陸へ渡ってきた人には大きくわけて三種類のケースがありました。一つは先にもご説明した清教徒やクェーカー教徒に代表される宗教上の理由、あるいは経済上の理由により移民を選択した「自由移民」、そして高額な渡航費用を立替えてもらうかわりに四年など、定められた年数を決められた場所で働く「年季契約奉公人」、そして最後に重罪人などの「流刑囚」で、概ね比率的に5対4対1でした

 自由移民が比較的裕福な立場電子書籍版、家族単位で移民してきたのですが、その反面、年季契約奉公人はイギリス国内での下層階級、二〇代前半の独身男性で、故郷で職にあぶれて都市部に流入する一方だった彼らをひとまとめにして新大陸へ送り込み、人的資源の再配置を目指したとも言えそうですが、彼らの多くは人手が必要な中南部の植民地へと送り込まれることになりました。

 過酷な中南部の自然環境は病気などにもかかりやすく、渡った人々の三割が亡くなったのですが、必然と生き残った人々は免疫を獲得したせいか長命だったとも言われています。

 傾向としては北部の自由移民たちが多い地域では、家族単位の移住のためか生まれる子息の数が多く血族的な流れが強くなる一方、南部では逆に一家族あたりの子供の数は少なく、寡婦などの社会的支援などもあったために、異父母兄妹などが多く存在する家族など多く見られたそうです。後に年季契約奉公人は減少していくのですが、その結果、人手を確保するために黒人奴隷を多く使用することになるのも、こういった事情からでした。

 そして、あまりここまで触れていませんでしたが先住民族の問題はさらに根深く存在していました。白人植民地域が拡大すれば必然と逐われることになるのが彼らでした。彼らは時に協調し、やがて反発し、そして、その後ご説明する欧州各国、あるいはアメリカ植民地群との争いに否応なく巻き込まれていくことになります。

 海軍史という立場であまり関わることのない先住民族については、本書ではあまり記述いたしませんが興味のある方は是非、アメリカ史などを読んでいただきたいところです。


 のちに大半が王領植民地となると先程書きましたが、これらの植民地の統治方法はどうだったかと言うと、国王の代理人である総督の指示によって植民地議会が招集されており、イギリス本国議会同様、参議会(上院)・代議会(下院)の構成でかなりの自治が認められていました。ただ、場合によりイギリス本国の国王を補佐する枢密院により植民地議会の立法が無効とされる場合もあったようです。

 しかもこの議会は、現在の議会の役目、民衆の代表たる議員が意見や利害の対立を解消するためのもの、と言うより、地域の有力者達による儀礼的な――すでに経済的な格差により支配・被支配の階層が成立していたため――側面が色濃かったようです。

 そして植民地内の地方行政単位は郡(カウンティ)として形づくられ、郡庁がおかれ治安判事、保安官、警吏が任命・選挙で選ばれるものとされました。これはイングランドでいうところの州(シャイア)と同様でした。

 一般に植民地(プロヴィンス)の語源はローマ時代の属州(プロヴインキァ)になるのですが、新大陸の十三植民地はイギリス本国から見れば、「州」の規模である「郡」の集合体でもあるある意味、「国」のような経済・人口圏だったと言えるでしょう。

 事実、この十三植民地群は後に「邦(State)」そして「州(Sate)」と名を変えつつもそれぞれ独自の憲法、議会を有する形となるのでした。

 ちなみに現在、マサチューセッツ、そしてペンシルベニア、バージニア、そしてケンタッキーの各州は日本語ですと「州」ですが、英語ではStateではなく各州憲法で定めるところのコモンウェルス(Commonwealth)――日本語ではイギリス連邦と区別するため米国州と和訳されていますが――とされています。

 コモンウェルスそのものの語源は、民衆の「共通の (common)」「富 (wealth)」ないし「福祉 (welfare)」を意味しており、共和国(Republic)の古い言い方でもあります。つまり、彼らは合衆国内を構成する州、というより自治共和政府であると任じているのでしょう。


 また彼ら植民地の多くで、先にアメリカ大陸に住む先住民族たちからの協力もいつしか衝突が深刻となり(かつ、場合によっては植民地同士でも)争うようになったことで各植民地の住民は武装の道を選び、これが民警団(Posse comitatus)となり、民兵(Militia)となり、最終的に軍事組織が結成されることになります。

 最初の組織だった民兵部隊は一六三六年、北部のニューイングランドと呼ばれるマサチューセッツ植民地で行われた三個連隊の編制命令が最初となりました。

 ただし、先にもご説明したように、北部マサチューセッツ植民地を構成する住民の多くは清教徒であり英国本土で同時期に発生する清教徒革命同様、王室に対して批判的な立場であったことは注目しておいてください。国民の武装の切っ先は、支配者たる王と国教会へ向けられていることと同義で、これは国家軍隊と大きく違っている点です。


 さて、最後の植民地である最南部、ジョージア植民地の特許状が一七三三年に出て、十三植民地群は成立します。アメリカ西海岸の英国主導による植民地は十七世紀、ほぼ百年と十八世紀の四分の一以上を費やして、成立する形となったわけです。


 さて、概ね植民地開発が百年も続けば、バージニア植民地以外の各植民地も開発は進みました。この間、戦争や、地主のいない土地を求めて欧州各国からの移民の規模は膨れ上がり、植民地の人口増加し続け、一七〇〇年に人口二五万人だった英国植民地はわずか六〇年足らずで六倍、一五〇万人の規模にまで達します。ボストンやフィラデルフィアといった都市は拡大を続ける一方でした。

 拡大を続ければ産業その他もろもろの多くは発展します。教育方面で言えば例えば一六三六年にハーバード大学が、その後も一七〇一年にイエール大学、一七四一年にペンシルベニア大学が設立され、これらの大学は今でもコロニアル・カレッジ(植民地時代から続く伝統校)と呼ばれてもいます。これら東海岸の名門大学の学生達はそれぞれ現在で言うところの学生サークル、秘密結社を組織し以後アメリカの政財界・軍部などで大きな関係を見せるのですが、その話はまたいずれと致しましょう。


アメリカ建国直前の東海岸沿岸に広がる十三植民地です。

ただし植民地の成り立ちも住民構成も違いがあり、経済圏もまた違っていたことが後の南北戦争への遠因となります。

概ね三つの区域にわかれるのが上の図からでもわかります。


ニューイングランド

北からメイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、コネチカット)がニューイングランドと呼ばれています。この地域は農業ではなく商業、造船が盛んになります。前述したようにこの地にはカルバン派の影響をうけた清教徒が多く移民していました。


中部植民地

シャンプレン湖から大西洋に流れるハドソン川、南のデラウェア川の間にあるニューヨーク、ペンシルベニア、ニュージャージー、デラウェアは多くの国からの移民によってなりたっていました。ニューヨークは先にご説明したようにオランダ系、ペンシルベニアはクェーカー教徒だけではなく、ヨーロッパの諸宗教にも門戸を開いたことから、アーミッシュをはじめとする、ドイツ、あるいはスコットランドからの迫害を逃れて移民してきたものも多くいました。


南部植民地

バージニア、メリーランド、カロライナ(後にノース、サウスの二つにわかれます)、ジョージアの南部植民地は農作物が中心で栄えていました。初期植民地であるバージニアを中心として大規模農園が経営され、バージニアやメリーランドではタバコ、カロライナ、ジョージアでは米や染料であるインディゴの原料であるナンバンコマツナギなどが栽培され、その農園を維持するための黒人奴隷が多く流入することになります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Thirteen_Colonies#/media/File:Thirteencolonies_politics_cropped.jpg (2023/1/6)


 このようにして北米大陸の東海岸沿いに出来た十三個のイギリス植民地群は次第に世界規模で繰り広げられることになる英仏の戦いに大きく関わっていくことになります。


2023年1月28日土曜日

合衆国海軍通史 私家概要 1-2 アメリカ、その歴史について(1)

 1.2.アメリカ、その歴史について

 アメリカ海軍の祖とも言える大陸海軍についてお話をする前に、アメリカ革命戦争に至るまでの経緯を改めてご説明しましょう……それは地形と海洋から始まるお話、なのですが。


 新大陸へと続く道

 世界史という点で俯瞰するとアメリカ大陸が発見されたのは現在、西暦一〇〇〇年ごろにはヴァイキングが北のニューファンドランドを発見して……と言われており、大変興味深い物語なのですが、現在のアメリカ大陸に続く物語として語るなら、やはり人類が海洋をある程度自由自在に航行できる術を持ち始めた西暦十五世紀中頃から触れる形となるでしょう。

 この時代、世界の中心となりつつあった欧州世界は日本で言うところの(実はこう呼ぶのは日本国内だけなのですが)『大航海時代』の時代となります。

 ポルトガルとスペインが発見した地が無条件に領土と見なされるために世界各地へ船乗りが展開していくこの時代、すでに地球は球体であり一周することも可能と考えられていましたが、これを信じたコロンブスが一四九二年に(Christopher Columbus)が西へ進んでインドだと思って到着していたのは、現在のアメリカ南部、キューバの東側にある西インド諸島の小さい島、サン・サルバドル島でした。これがアメリカ大陸発見の第一歩でした。

 もっとも、この新大陸がコロンビア、ではなくアメリカと呼ばれるのはこのコロンブスの発見より幾ばくか後、イタリア・フィレンツェ出身の探検家にして地理学者でもあるアメリゴ・エスブッチ(Amerigo Vespucci)が南米大陸、ブラジルの発見などを綴った旅行記(論文とも)『新世界』が元となったからで、彼の名をラテン語読みした、アメリクス・ウェスプキウス(Americus Vespucius)のアメリクスを女性形にしてアメリカ、と呼ばれるに至ることになります。

 とはいえコロンビアの名は現在もアメリカ大陸を指す尊称として、ワシントンDCの正式名がコロンビア特別区(District of Columbia,DC)にも使われているのはご存じでしょう。

 

 大西洋における海流の図。

 この図はその後の話に関わる重要なものになりますので置いておきます。

 これを見るとスペインを出たコロンブスが、どうして西インド諸島、現在のキューバへとたどり着いたのか理由もわかります。

 アフリカ東岸から西方へと向かう北赤道海流は、カリブ海、メキシコ湾へと流れ込み、そしてフロリダ海峡を通ってアメリカ大陸東海岸に沿うように北上し。ノースカロライナ州ハッテラス岬で東へと進路を向け、大西洋を横断する北大西洋海流となってノルウェー沖とスペイン西岸へと別れる一方でスペイン西岸へ向かう海流はアフリカ東岸を南下し、再び北西岸海流へと合流しメキシコ湾流となります。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:North_Atlantic_Gyre.png (2023/01/16)


 当時の帆船によるイギリスから北米大陸への航海日数は、有名な〈メイフラワー〉号で六六日間となっています。ちなみに船の大きさは、色々所説あるようですが、最大全長で33メートル、全幅7・5メートルと想定されていますが、この船に一〇〇名前後の乗客と三〇名前後の乗組員が乗っていたと言われています。本来二隻で向かう予定が一隻になったため明らかに過剰な人員が乗っていた模様で、過酷な船内環境は結果的に乗客、乗組員、それぞれ半数を失うほどでした。ちなみに帰途は概ね一か月、三〇日でイギリスまで戻っています。これも海流を見ると理由がわかります。

 実はこれでも当時として見れば早いほうでした。後に説明する最初の入植地、ジェームズタウンへ向かった三隻の船の航海日数はなんと四か月近くを費やしています。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mayflower_in_Plymouth_Harbor,_by_William_Halsall.jpg (2023/01/23)


 さて、大航海時代も折り返しを迎えつつある十六世紀の中頃から、この発見された新大陸への植民が積極的に行われるようになります。

 スペインは現在の中南米、そしてフロリダ半島などを中心に植民することになりますが、一方、欧州の小国であった英国も先達に習って海外植民地の獲得を目指すことになりました。

 これは切実な理由も一つありました。というのも、当時のイギリスにおいて一五四〇年にはもう国内のほぼすべての森林資源が枯渇しており、鉄鋼業の発達はそれに追い打ちをかけていたのです。英国議会は森林資源の保護を目的に森林保護法を制定したのですが、効果は少なく一五四〇年から七〇年までの二十年間で槇の値段は倍にまでなり、貧しい人々は冬を乗り越えることなく凍死したと記述があります。

 その中で一五八〇年代に英国国内で北米大陸の豊かな森林資源を目的とした植民地化が叫ばれます。まぁ、その言い方が「多くの怠け者を雇って、天然資源を採取し、英国に輸出する」という、なんとも明け透けな言い分だったのは確かなのです。

 彼らが目標にした北アメリカ大陸への入植は幾度かの失敗を経て、ようやく十七世紀初頭の一六〇七年、英国はテューダー朝ジェームズ一世時代に成功しました。

 ジェームズ一世の特許状(許可状)を得て設立されたバージニア会社による植民地、ジェームズタウンは現在のバージニア州のチェサピーク湾、パンプトン・ローズと呼ばれる地域から川を遡った場所に開拓の一歩を記すことになります。

 三隻の船に分乗した移民達は、一六〇六年の一二月二〇日にロンドンを出航。なんと翌年四月二六日にチェサピーク湾に到着。ジェームズ川を遡上、入植地に上陸したのが五月一三日でした。入植者は一五〇名足らずと記されています。

 現在、ジェームズ川河口周辺はハンプトン・ローズと呼ばれ、この地には合衆国海軍ノーフォーク基地や、現在も艦艇を建造しているニューポートニューズ工廠がある一帯となっています。天然の良港であることがこのような開発を生んだわけです。


https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Location_of_jamestown_virginia.jpg (2023/1/16)


2023年1月20日金曜日

合衆国海軍通史 私家概要 1-1 合衆国海軍創設日は

「合衆国海軍通史 私家概要」としてアメリカ合衆国海軍の歴史をなぞっていきたいと考えています。またもや不定期連載となるでしょうが、生暖かく見ていただければ幸いです。

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アメリカ合衆国海軍の歴史の始まりはいつと定められているのか。

 少しでも歴史に造詣のある方であれば、即座にアメリカ革命戦争(独立戦争)だと答えるでしょうか。

 事実、NHHC(海軍歴史遺産センター)のサイトでは、その起源(Origin)を一七七五年一〇月一三日、大陸会議(Continental Congress)が二隻の武装商船を準備する通達を出した日が、海兵委員会(Marine Committee)を設置、大陸海軍(Continental Navy)が誕生した日であり、アメリカ海軍創設日としています。

 ただ、これもよくよく読むと、一九七五年、時の海軍作戦部長、ズムウォルト提督が海軍創設記念日として定めた――という記述があるので、はて、この「歴史」は昔からのものではないのかも。という目にもなります。実際には後に説明する一七八九年、合衆国憲法が設置され「海軍を養うこと」とされた後に先行して、税関監視艇部 (United States Revenue Cutter Service)が設置されていますから、少しでも遡りたくて……ではないのか、といういささか穿った目にもなります。

 実際問題、大陸軍はまだしも大陸海軍、大陸海兵隊は革命戦争後、一度は廃絶され、艦艇もすべて売り払われていますから、直接の繋がりはないのです。

 一七八九年の憲法制定とするか、あるいは議会が正規に艦隊に必要な六隻のフリゲート建造を承認した一七九四年一月二日をアメリカ海軍創設の日と考えるべきかとは思いますが、アメリカ海軍がそう言っているのであれば、それで良しとすべきでしよう……。

 ただそうはいっても、大陸海軍を無視して、六隻のフリゲート艦建造を承認するまでにいたる話を無視するというわけにもいきません。

 なぜアメリカ合衆国は、大陸海軍を廃絶し、そしてまた海軍として新たに設立することになったのか。そして極端に浮き沈みの激しかった一九四五年までの合衆国海軍を語るには、アメリカ建国以前から話をしなければ中々伝わらない点もあるのではないかと思います。

 とはいえ、これを史家でもない自分が語るにはいささか持て余しかねない物語となります。何しろアメリカの成立はつまるところ世界史の一部として当時の国際状況に密接に絡み合っているからなのです。

 新大陸がアメリカと呼ばれるようになり、東海岸沿岸に広く散らばる十三植民地連合(ユナイテッド・コロニーズ)が如何にして団結し戦い建国することに至るまで、何故彼らが『革命』と呼ぶのか……そこへ至るまでの物語は出来るかぎり圧縮してご説明しましょう。


 ……それでも幾分長い物語となるのですが。


「提督たちの反乱 私家概要」刊行によせて

 一昨年の年末から昨年初頭にかけて連載させていただいた「提督たちの反乱」についてのお話が同人誌となってはや半年をすぎました。

おかげ様で同人誌(ウスイホン)にも関わらず410p越えという分厚い本になったものの、無事初版及び増刷分も概ねすべてが頒布され、皆さんのお手元に届いた形となりました。

……ここだけの話、わりと「どひゃー」と転がりそうな方からもご感想をいただいておりまして、背筋を伸ばす一方、恐縮しきりのところもあります。

さて、blogでの掲載を一時終了させていただいたのは内容が大きく変化したから、という理由もありました。内容は大きく変化しているのもありましたが。

まずはblog版の連載を読んでくださりありがとうございました。

遅ればせながら、皆さまへとお礼申し上げます。


2022年12月20日火曜日

同人活動でデジタル校正・推敲をやってみた! その2 「どうやるの」

 おひさしぶりです。

すっかり忘れていたけど、ちょっとぶん投げ気味でしたので追記がてら書きますね。

さて、iPadproとApplePencil(2G)が手元に届いて、すぐさま執筆環境にフューチャーした設定開始です。アプリは色々確認済みで、試した結果、こんな感じとなりました。

1.(PCでの執筆環境)→ GoogleDocument で草稿作成。

2.(PCでの執筆環境)→ Word あるいは 一太郎での体裁設定

ここまではいままで通り。さて、ここからです。

3. Dropboxで執筆データを確保。ここでPDF出力。

4. 「GoodNotes」を使って、Dropbox経由でPDF出力データをDLしてそのまま編集状態。

  (校正/推敲開始!)

という流れになりました。これが強力すぎて笑えます。


こんな感じで、iPadにがりがり書き込めます(本当はもっとガンガン赤が入っているのですがねw) 

何がいいかって、修正で書き込む内容も簡単に修正できる、というのがラクチンですね。雑い修正内容で、やっぱりうーん、こうじゃないんだよな、と思ったらペンをダブルタップすると消去になるし、書いた内容も消去もアンドゥできるので「やっぱり前のがいいかも」ができる。これが紙のほうではできませんでしたから。

そして、一番のネックだった、「画面上でのチェック」と「紙の上でのチェック」の違いがiPadでは(今の肌感覚では)無いことが大きいです。

これ、リコー経済研究所のリンクにもあります。
「「紙」に印刷すると間違いに気づく理由」
https://blogs.ricoh.co.jp/RISB/new_virus/post_604.html

紙のほうは反射光、ディスプレイは透過光のせいで、人間の脳が旨い事、ミスをスルーさせてくれるんですね。

ただ、iPadにApplePencil用のノートっぽいスクリーンを張った状態ではあまりそれほど感じません。紙の方でもついつい疲れているとスルーしちゃうことがあったので、ここらへんはまあ個人差の範疇かもしれませんが。

で、iPadでさんざん書き込み、

5.(PCでの執筆環境)→ Word あるいは 一太郎での体裁設定 (以下繰り返し)

と相成るわけです。

正直、iPadPro + ApplePencil 舐めてました。慣れると手放せませんね。
実はその後、校正だけではなく、ペン画のアプリまで突っ込んで、今回C101向けの合同企画(は、ちょっと延期しちゃいましたけれど)用の設定図とかを書くこともできるようになりました。ペンってすばらしい!(こらこら)となっています。

ただまぁ、iPadProはわりと重いので、正直、その点はちょっといただけない……。のですが、そこはまぁ受け入れて、作業の役にたっています。

先の進捗固定ではないですが、5.のサイクルをぐるぐる回すのにためらいがなくチェックできます。C101では5回、C100の新刊ではそれぞれ3~5回、PDFに変換してチェックします。できればこれで読み上げツールもあればいいんですが、これはこの後の課題ですかねぇ。


2022年5月28日土曜日

同人活動でデジタル校正・推敲をやってみた! その1 「はじまり」

Twitterでは幾度か呟いているのですが、とうとう購入しましたiPad(pro)。
なんでまた、というのもありますが、切実な理由からでした。
話は昨年に遡ります。


ちょうど、五十鈴本を作っている時ですが、4月の間、一ヶ月をかけて出力して校正して反映して出力して、校正・推敲して、で、PC画面上でも直して、収拾つかなくなってまた出力して……と散々繰り返していたんですね。
都合四回は出力しました。
使っていた三色ボールペンも全部のインクを使い切ったりとか、ほんと大変でした。
これは夏まで手がけていた、「オタモイ山の戦い」の増補改訂版自己推敲でもおんなじノリで。となるとどうなるか、室内に出力した紙が散乱するんですよ!
そりゃ、クリップで止めますけどねーさすがにーねー。
で、作業が終わったあとにだばーっと紙ゴミで資源回収として出すのですけど、いくらなんでも環境に優しくない、なんとかせねばと思っていました。

なんでか。

というのも、今進めている二つの同人誌「提督たちの反乱」が新書サイズでページ数計算したらざっくり400P。「夕雲カナ」話が、260Pぐらい。トータル700P近く! これを紙出力!?
しかも五十鈴本を見れば、自分のボンクラっぷりだと四、五回は出力する。
おおい、って、まーじーかー! と思いましたね。印刷するコストだけでもバカにならない。
さすがに自分も色々考えました。
一番は電子校正か!という結論にそうそうに到着しましたが、どうするかが問題でございまして、それまでにも自分は色々試行錯誤していたので問題点はわかっていました。過程をぶっ飛ばして結論から書きます。

【結論】
Android タブレットと百均レベルのタッチペンでは使い物にならない。

これ、ですね、やってみたんですよ。ところが全然ダメ。試した時のAndroidタブレットの性能はそんなに良いものではなかったのですが、指はともかくペン先の反応と追随性がちょっとお粗末すぎて、アプリで書き込めるレベルではありませんでした。
2022年、タッチペンでちゃんと反応してくれるタブレットはかぎられる感があります
が、それを試してみるかと思っていたら7万ぐらいですか。
それを試して使えなかったとしたらなぁと二の足踏みますね。

というわけでどうするか、もう先達の人の話を色々を調べるだけですw

二次創作字書きにiPadはかなり良かった|長谷川ミオ @hanamio3 #note

文章書きにもiPad proを推していける

で、こういうのを読んでiPadでの可能性を模索したのは、二作とも校正作業に差し掛かる頃でした。iPadねぇ、いいけど高いよねぇ。というのがありまして。躊躇っていたんですよ。

そこへ、笹松先生が、リファービッシュ品iPadProを購入したとのツイートが。
おっ、そんなものが!

ネットで検索すると、大体二年ぐらい前の型落ちiPadが安い。フーム、これは現実的なモノになりそう。
で、Twitterでいつも話している人でまかーな人達にお伺い、iPadどうですか?

結論はだいたいこんな感じでした。
「リファービッシュ版だと安いけど、Appleははずれを引くと大変。補償が継続して効く新品にしたら?」
「Apple Pencil購入するなら当然第二世代、となるとAir か Proしかないね」
「画面サイズは予算が許せる限り大きいのにしたら」
「タブレットとは思えぬ重さでへこたれる。キーボードはまぁ、好きにしたら」

……おっ、おう。
で、実は自分もちょっとiPadのある機能に触れたかったんですよ。最新世代のproでしか搭載してないLiDER(Light Detection and Ranging、光検出測距)センサーが。

Apple、LiDARスキャナを搭載した新しいiPad Proを発表、iPadOSでトラックパッドに対応

新型iphone12proに搭載⁉ipad proのLiDERスキャンを精度検証


これ、ちょっと自分のげふんげふん分野でわりとトピックでしてね。
XYZの位置情報をもつ点群データを使って、立体スキャンが出来るっていうまぁ、民生品にまでとうとう降りてきたか、センサーです。で、これで立体モデルが出来るなら、あれこれそれとかできるよなぁとか色々妄想していて試したい。

まぁ、言い訳ですよね、こんなの会社の予算ヒネくりだせば一番いいですから。

結局、買う気マンマンでヨドバシに行ったら全然在庫がなくて、Appleストアで購入しましたよ、全部でAndroid用タブよりもお値段倍になっちゃいましたけど。iPadPro 11インチ、256Mを。べつに容量はどうでもいいと思って、これにしたんですがね。
これにカバーとペン用の書き味がペーパーライクになるという保護シートを購入。

さて、いささか脱線気味でしたが、購入までの前振りはここまで。
実際に、どうなのよって話は以下次号。

2020年1月15日水曜日

年末の記録とかアレコレ。

どうも、中々更新しておりませんが日々なんとか生きております。
Twitterで色々呟いているのでblogのほうは備忘録のマトメになるのがせちがらい。

■C97コミケ参加に関わるアレコレ。
実はTwitterでは散々呟いていますが、コミケ落選しまして。折角作っていた、
征途二次創作「北海道戦争戦地をゆく 1952アイアン・フィスト作戦」
どうしたもんかと思い、大サトー学会でお知り合いになってくれたツテを辿って委託頒布という形をとらせていただきました。この場を借りて頒布していただきました皆様に厚く御礼の言葉を。本当にありがとうございました。
ただ、ですね、作ってみたら100P越え! こんなん誰が買う!っていうわけで刷った分の半分、50冊を持ち込んであとはBOOTHで通販と思っていたんですよ。まぁ完売してほしいけど、とは思っていたのですが。ところがですね、私が四日目一般参加でぐるぐるとメカミリ島を周回していく間に溶けるがごとく売れていく汗。おわっ、これがメカミリの威力か!wと午前中には完売でした。手に入れられなかった方もいたようで、本当にすいません。というわけで、残り自宅にある分はBOOTH販売しています。

それと、名刺ぶら下げて購入しておりましたら、あれやこれやと「あ、Twitterで!」とか言われて、おいいいっと思ったのはナイショですw それだけじゃなくて色々な方とお知り合いになることが出来ました。これで野望にまた一つ(どんなの)。

 ちなみに冬コミ装備品ですが、前回の経験を踏まえて方針転換。大成功でした。
札幌・冬季戦モードwでなくて、がっつり薄着に。
 ワークマンのインナー「11410 HOT-COTTON(ホットコットン)丸首長袖シャツ [冬1]」で温かさを確保。そして薄地のシャツ、その上にはユニクロのウルトラライトダウン、そして風を防ぐためにブロックテックパーカにしました。
結果的には大正解で、行列に並んで寒風吹きすさぶ橋の上でも大丈夫。三日目は待機中に雨に降られましたが、ニットキャップにフードかぶってマスクしていればかなりの保温です。アウターのパーカも撥水対応・ムレないし、何よりいいのは、室内にはいったあとに暑さにやられた前回とうって違って、ウルトラライトダウンを脱いで、シャツも脱げばそれで大丈夫というのが大きいですね。軽装化できるレイヤードをチョイスして良かった。 

あと、こちらも行きたかったのでテクテクと二日目(29日)に伺いました。 清澄白河駅からいける、ブックカフェ「ドレッドノート」。前々から興味あったので行ってみました。 店内にある本はどれもこれもがミリオタならうひゃ!と声を上げそうになるような本ばかり。 怪しげな客をいぶかしんだのか、店主の鈴木さんから声をかけられて、いやぁ、札幌から来たんですよ。とか答えたばかりにアレコレ年の瀬にミリオタ談義が展開するとは思いもつかず。是非とも関東圏のミリオタはですね、通ってあげてください。そして店の奥に鎮座してるUFO本みて、ニヤニヤしてくださいよ!w ここでも、同人誌、紙の本でくださいと言われたので、考えときます…と話を。「オタモイ山の戦い」増補改訂はまったなしなのか…。 いつもの大サトークラスタの皆々さまには飲み会はじめ、四日目は本当に色々助けていただき感謝の言葉もありませぬ。 またBOOTHで購入していただいた方にも…ありがとうございます。