2010年6月1日火曜日

20100601のメモ。

このサイト、movabletype 4.12なんですけどいろいろとやっつけ仕事で作ったのであちこちにトラブルあるんですよね...。というわけで近々見直しして、MT5.02あたりにしようか、ちがうのにしようかと考えてます。

一応見直しに伴い万が一の場合は、「はてな」で新規作成か「nifty」にそのままにしてあるblogに継続する予定ではあります。つぎはもっとシンプルにしたいな...。

以下、ちょっとしたメモ。

#えっ、まだ配備してなかったんだ。
毎度お世話になっています井上@kojii.netから。ドイツでティーガー対戦車ヘリに不具合が生じたという話で、「へっ?」となった。あれ、たしか2000年前後に飛行していたんじゃなかったっけ。とざっとネットをチェック。ドイツ版のUHTは2005年から導入スタートしているらしいけど、120機(100機に減産?)のうちすでに導入済みなのは11機だけ。って、どんな導入ペースなんだ? 初期低率導入とかそういうネタじゃないのか。
あと目新しいのはUAEがC-17、2機を導入したとのこと(ええー?)あんなデカブツ、何に使うんだろうか。それもわずか2機。うーん...。あとあいも変わらずKC-Xはごたごたつづき。いいのかね。

#以下購入物
reviewは後ほど。
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��別エントリにはしないでざっと書くことに。
軍事板FAQからで知ったネタ。ちょっと興味がわいたので調べてみた。
http://mltr.ganriki.net/unc0003k.html#21475
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 関係者が語りたくない特攻作戦の典型例は,陸軍最初の航空特攻だろう.
 志願ではなく命令で編成された部隊で,隊長は体当たり攻撃反対の意見書を出した人物.
 特攻専用に改造された機体で装備した部隊が編成されたのは,大西が特攻を決断したといわれる日より前なのだから.
 実際の特攻作戦でも,隊員の一人は体当たりせずに投弾してから生還しており,悪運の強い彼は,この後何度も特攻出撃しても,必ず投弾してから生還しており,ついには終戦後,日本に復員してしまった.
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調べてみた。
出典はwikipediaなどから。
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陸軍の最初の特攻隊の編成は鉾田、浜松教導飛行師団の腕利きを集めて行われた。鉾田の九九双軽は 26日にフィリピンに到着後万朶隊と名づけられた後、初出撃を待つが11月5日、第4航空軍の命令で作戦打ち合わせに向かった隊長の岩本益臣大尉以下5名が米戦闘機と遭遇し戦死。浜松の四式重爆はフィリピンに到着後富嶽隊と命名され、こちらも待機していたが11月7日早朝、初出撃した。しかしこの出撃は空振りに終わり、山本中尉機が未帰還。山本機は未確認ながらも突入したと推定されている。富嶽隊は13日に、隊長西尾常三郎少佐以下6名が米機動部隊に突入して戦死(戦果未確認)。残った富嶽隊、万朶隊はその後順次出撃し、万朶隊の佐々木友治伍長が戦後復員しただけで、ほかは全滅した
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萬朶隊は5日、マニラの第四航空軍司令部での壮行式出席のため空路移動中に輸送機が撃墜、隊長始め将校全員を失っており、下士官のみ 99式双発爆撃機5機で出撃した(1機は途中帰還)。大本営が戦死を発表した佐々木友治伍長だけは、岩本隊長の生前の命令に従って、体当たりを行わず、輸送船に爆弾を投下、ミンダナオ島カガヤンに不時着、生還した。
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http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/d191113.html

ふむ。岩本隊長とは、岩本益臣大尉のこと。岩本益臣大尉についての経歴はこちらで確認。
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彼は「跳飛爆撃」(魚雷は海面下に沈んで進行するが、爆弾を海面下に沈ませずに石の水切りのような形で進行させ敵艦船を攻撃する方法)の我が国第一人者であった。彼は技術的に体当たり効果がないことを知っており、かつ陸軍首脳部、特に特攻提案幹部に対する反発があった。また優秀な部下を犬死にさせるのにしのびなかった。「隊長として死ぬまで特攻攻撃の暴挙に反対して戦死」といわれている。決して死を恐れたわけではない。
体当たり特攻の研究提案者は第3陸軍航空技術研究所所長正木博少将で一機一艦撃沈の正木論が正当化されていた。
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http://www.city.buzen.fukuoka.jp/jinbutsu/iwamoto/iwamoto.htm

万朶隊のその後については以下のとおり。
http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/banda.htm
都合十回のうち、八回(!)も特攻を命じられた佐々木友治伍長は機材の不調により失敗が三回。随伴した戦闘機隊隊長の(おそらくは彼に同情的だったため)判断により引き返したのが一回。それ以外の五回は成功・不成功に係らず攻撃を続行したようですね。
(もう戦死報告が上層部に上がっており、あの富永中将とか色々な人から「死ね」とか言われたなんというか、不幸だけど不屈の人です)

まぁ、なんていうかいろいろとどんよりくる話です。


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