新書館 (2005/05/25)
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笑わせてもらいました。いいなぁ、この人の作品。好きです、はい。
鬼畜な真島に対する「プライスレスな贈り物」がサイコーです(w 確かにコイツはすげぇ!
もうちょっと詳しい感想は改めて。よしながふみを知らない方は、この1巻と合わせて「愛がなくても喰ってゆけます」もどうぞ! きっとめくるめく妙な世界へと誘ってくれますよ!
自分が在籍する業界向け雑誌を読んだら、10年以上前に暮らしていた街の航空写真が出て感慨にふけってしまった。
あの頃、府中の中河原駅近辺で寮住まいだった自分は、
休日となると多摩川にかかった橋を渡って聖蹟桜ヶ丘のショッピングセンターに通っていた。
○芝エンジニアリングにいた兼平君たちは元気なのだろうか、とかとか感慨にふけってしまう。
あの頃、自分も本当に頭を抱えるほど青春スーツ(byハチクロ)を着込んでいたので(w、もしあの頃青春スーツを脱いでいて、
もう少しズル賢く、世渡りが上手く、なおかつ色々な意味でスレていたら、もっと違うことになっていたかもしれない・・・まぁ、
今もべつに現状に不満はない(というより、「あのときの」自分の決断が今の結果である以上不満という形ではなく、改善すべきもの、
として捕らえているのだけれど)
まぁ、そんなわけでもう少し感慨に耽ろうと、同業他社やお役所のホームページをあさってみた。以前にも取り上げたのだけれど、改めて。
「いくとこガイド」
target="_blank">http://www.ikutoko.com/
では、日本全国の地図+航空写真を重ねて表示できるので、もし思い出の地があれば探してみてもいいかも。
国土情報ウェブマッピングシステム
target=
"_blank">http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html
ここでは、昭和50年とか過去のデータも参照できる。
もっとさかのぼりたい場合は国土地理院の「空中写真サービス」もある。
target="_blank">http://mapbrowse.gsi.go.jp/airphoto/
ここだと終戦直後、米軍がB-29で撮影した航空写真があるので、60年前の町並みがわかる。札幌ってこんなにど田舎だったんだ。
と思い知るには丁度いい。ちなみに北大の北側、今の北24条駅界隈には旧札幌飛行場があったのはその筋の人には有名だし、
今の札幌飛行場(丘珠飛行場)には陸軍の54戦隊(まぁお寒い装備だったのだが)がいた。
しかし国もGISに本腰入れるならこの手のポータルサイトを内閣府あたりで作ってほしいなぁ。
この手のデータが眠っているってあまり知られてないんだし。 正直、縦割り行政のせいで、国土交通省、国土地理院、総務省、
LASDIC(地方自治情報センター)とか、
もうGISがらみのポータル気取りのサイトはこれでもかと存在している。もう、バカかとアホかと(w。
GISアクションプランも今年で最後なのだが、音頭だけは景気が良くて、その実何も動いていないしなぁ。
大体地方自治体の求めるGISのオーダーと測量、建設CAD系企業のオーダーにはギャップが(以後、
業界筋向けの愚痴ですので省かせてもらいます。流石にヤバイので)・・・、しっかりしてください>担当者各位。
自分が別件で電突した某霞ヶ関官僚の方々は非常に有能でテキパキと対応してくれたんだけど、なんだなぁ、やはり官僚組織は大変なのか。
ともかく、昔自分が暮らしていた町とか、今暮らしている街の昔の姿を知ることだってできる。
ちょっとしたときに思い出を掘り返すのも時には悪くはないだろう。・・・時々はね(w
えー、フリューゲルス、五輪代表で活躍した前園が引退とのこと。"http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20050519-00020361-jij-spo.html">
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20050519-00020361-jij-spo.html
うーむ。あの迸るような情熱を持て余し気味にギラギラさせて、相手DFを切り裂いたドリブルが懐かしい。
当時、自分も今ほどスレてはいないサッカー好きだったし、
同世代ということもあって本当にアトランタ五輪日本代表チームには心の底から応援していた。
その後のシドニー世代とは異なって、ユースなどでの実績はなく「世界の扉を開く」のが目的だったとしても、いや、
そうであるがゆえに希望を抱いていた。
選手は粒ぞろいで、前園、城、小倉(嗚呼・・・)、伊東、服部、田中誠、川口らを筆頭にこいつらならやってくれると信じられたのだ。
そして最後に若手のジョーカー、中田がいたのだから。
シャーアラームでサウジのDFの中央を鮮やかなワン・ツーとドリブル突破で切り刻み、ゴールを結びつけたシーンを思い出す。
あの頃はすべてが何もかも幼すぎた。選手も周囲も、ファンも、マスコミも。
前園が大成しなかった理由も、彼の精神を正しく導く者がいなかった一因もあるかもしれない。もし、
スペインに移籍できていたらどうなっていただろうかと思うときもある。今、
ヴェルディを指揮しているアルディレスのような監督にも出会わなかったのも痛かったかもしれない。
沢登がアルディレスの手によって再生したかのように、前園も必要なときに必要な監督などが周囲にいれば・・・と思ってしまうのだ。そして、
最後にはイタリアのゾラのような選手になれたかもしれないのに・・・といらぬ妄想を抱いてしまう。
その後、日本サッカーはフランスW杯予選をめぐる七転八倒の日々を送って実力を得て、これまた気難しい才気走ったフランス人監督と、
これまた運よくアトランタ世代以上の粒ぞろいがそろった黄金世代を中核にリアリズムを身に付け、
いまやブラジル人監督の下でよせばいいのにニヒリズムを体得しているような気がしているのだが(w そこに至る前に、前園という、
一瞬のとんでもない輝きを見せた選手がいたのを忘れることはできない。
ありがとう、ゾノ。