2005年9月15日木曜日

自衛隊指揮官/瀧野 隆浩

4062569582自衛隊指揮官
瀧野 隆浩

講談社 2005-08-23
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休みの間、一気呵成に読んだ本。この国にある自衛隊という「軍隊でありながら軍隊として認知されていない」組織と、その組織に所属している人達が追い込まれた状況とジレンマを自衛隊の数々の事件(サリン事件、函館ミグ25亡命事件、沖縄でのF4による領空侵犯機警告射撃、能登半島沖領海侵犯射撃、9.11以降の海外派兵)などの事例を用いて説明している。各々の立場に置かれた自衛隊指揮官の悲哀、そしてその悲哀を感じさせるその背景にしおしお感を感じさせる。

なんだなぁ。
自分は「石をぶつければ自衛官かもしくはその縁故者にあたる」北海道在住だ。亡父も元陸自隊員で、自分も進学か就職かを考えていたときに地元の自衛隊から参加のお誘いも受けたことがある(あのとき頷いたらどうなってたことやら)。友人も自衛隊員が・・陸、海といる。なにより、冷戦時代の北海道は、今でこそ笑い話だが、マジにソ連軍が上陸して第2師団が全滅覚悟で音威子府に立て篭もる間にどうするか。っていう話がごくごく普通の居酒屋で酒飲み話としてでる(いや、本当にあったんだって!)な場所だ。
その時から、笑い話で聞いた話がある。元自の隊員から「上陸時にね、タコツボ掘れないんだよね。予想地点に」「へっ?」「だって、その時の地権者に許可を得ないといけないでしょ?」「嘘でしょ。だって、ソ連軍の上陸が迫った時点で防衛出動が認められると・・・」「うん、その後、どうするかは法律がないんだ」「信じられない・・・」(今ならいささか間違いがある。ただ有事法案が無いとかなりまずい。というのはこのときに初めて知った)

自衛隊は軍隊だ。人を殺害し、破壊することを可能とするモノを装備し、自己完結性を保ち、事あらばそれを躊躇い無く使用することを求められる、国家によりその存在を認められたある種の暴力機関だ。それを認めていないのは、憲法第9条だ。ここで憲法論議をするつもりはない。ただ、忘れてはいけないのは、その憲法によって曖昧な存在として位置づけられている組織があり、その組織に所属する人々が事あらば国民の矢面に立って戦争や災害に立ち向かうことを求められている。という点だ。
印象に残ったのは阪神大震災の折、ある自衛隊指揮官が発した「法律を尊重し、法律を超えろ」(大意)というくだりだ。そこには自衛官の求められている苦渋の部分がある。つまり彼らの目的である国民の安全と平和を守るためには彼らを(曖昧な形とはいえ形づくる)法律が足かせとなる。

ある自衛官職の方は「我々が死ねば国民も目覚めてくれる」と信じているようだが、それは(正直)望み薄だ。我々は知らねばならない。命令一つで部下を死地に送り込むことを求められている自衛隊指揮官が、その立場たるべきものが、曖昧な法律しかないということを。
現場の運用にすべてをゆだね(つまり責任は取らない)、まるで打ち出の小槌のような、言い方を変えれば「ドラえもんのポケット」のようなイメージで自衛隊を捕らえていないか。彼らは日本国民であり、我ら国民の安寧と国益を守るために存在する。
悲惨かつ危険な災害現場に、熱砂のイラクや東ティモールに、彼らを送り込んでいるのは畢竟、自分達であるということを忘れてはいけない。そして想像しないといけない。彼らが万が一傷つき倒れ、もしくは他者を殺めたときに、どう向かい入れるべきかを。ベトナム戦争のおり、アメリカ国民は帰還兵たちを忌み嫌った。それがPTSDとして深い傷を植えつけることになった。自国民が自らの剣であり盾である軍を信任しなければ、軍に所属する者たちにいかなる影響を及ぼすのか、ちょっとでもその当時の本を読めばわかる。
だからこそ、自分は有事法立法化に賛成するし、少なくとも詭弁など言わずに十分な装備をつけて海外に送り出さねばならないと思うし、その時には現実に則ったROE(交戦規定)を渡さねばならない。


そんなこんなで色々と考えさせるいい本でした。自衛隊に興味がある方は必読です、はい。

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