2009年3月17日火曜日

プロパガンダ Anthony R. Pratkanis Elliot Aronson

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く
プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜くAnthony R. Pratkanis Elliot Aronson 社会行動研究会

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プロパガンダという言葉を聞くと、戦意高揚のための宣伝。と捉えがちです。
歴史に詳しい人であれば、ナチスドイツのゲッペルス宣伝大臣の行った手法などが思い浮かぶかもしれません。

しかし、今、プロパガンダの手法は、国が国民に対して行う宣伝行為だけではなく、選挙における立候補者のキャンペーン、商品に対するCMやキャッチセールス・店員のセールストーク。新興宗教における勧誘や振り込み詐欺など様々な分野に深く静かに浸透しています。

大多数の人々は、自分の選択は自分自身が見て考えた結果であると(根拠もなく)信じていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
ユリウス・カエサルが「人は自分の見たいものしか見ない」と看破したように、情報過多の中にあって自分が判読できる情報に矮小化して判断しようとします。あるいは一度下した自分の判断にしがみつこうとします。

例えばスーパーで洗剤を手に取る。後ろ書きには「驚きの白さ」と目に付く文言がかかれ、自分にはさっぱり理解できないような化学分子構造が書かれて、さも効果があるように描かれている。一方、隣の洗剤はあまりパッとしないパッケージで、シンプルなもの。どちらを手に取るでしょう? 二つを使いくらべて確認したわけでもないのに?

TVで「簡単にやせる」といううたい文句で、ある食品を毎朝食べつづけると体にいいどころか体重もやせられるという特集番組が流されます。その食品はどのスーパーにも大抵置いてある商品です。その商品を一週間毎朝食べつづけた被験者の体重低下が大きな文字で表示され、医者がもっともらしくその効果について語ります。
さぁ、貴方は次にスーパーに行ったらあの商品を買おうとココロの中に書きとめたことはありませんか? そもそも熱量の観点から言えば、極端な形食べる量と消費する量を差し引いたものが体重となるわけですから、食べる量と消費する量を見直すだけでダイエットは成立するはずです。でもそんな面倒なことをしたくないので簡単に食品を食べ続けるだけの行為でクリアしようと考えたことはありませんか?

小奇麗なスーツ姿で現れた人物、あるいは容姿が整った美女が目の前に立って、「貴方のような素敵なセンスの持ち主ならきっとこの商品の素晴らしさに気が付くと思っていました」とかなんとか言われたり...。また、極々簡単な視覚情報による印象操作と、ついつい褒められたかのような感覚は持ちませんか? そして、自分がその商品をもっている姿なんてイメージしたことはありませんか?

子供の頃見ていた番組のキャラクターを食玩にした商品が発売されます。店内のPOPには期間限定の文字。特に貴方が好きだったキャラクターはシークレット扱いで2ケースに一つしか入らないといわれます。さあ、貴方の財布にはそれを買うだけのお金があったとしたら? そもそもそれは貴方が本当に欲しかったものですか?

例えば業績が悪化している社長が社員に対して「自分も給料を30%カットしよう。せめてキミたちの給料も15%カットすることを許してほしい」と告げるかもしれません。社員は社長がそこまでやってくれるなら。とその内容に同意するかもしれません。しかし、社長の給与はそもそも必要十分、例えば社員の給料より倍貰っていたとしたら、30%カットしたところで、社員より生活の影響は少ないはずですが?

貴方が欲しい電化製品があったとします。ネットのクチコミサイトでも評価は上々。100人中80人が絶賛。10人が高評価。10人がイマイチ...という評価だったり。これは買いだと判断します。で、友人に話を聞いたらこんな答えが。「あー、あの製品でしょ? 自分も買ったんだけど不良品でねぇ。大変な目にあったよ」と。貴方はそれを聞いて、まだその電化製品を買いたいと思いますか? サンプル数が101人になって、11人の中の一人が友人となっただけと考えられますか?

最近、マスゴミと言われるほどマスコミの信頼性は低下しています。首相に対するネガティブな印象操作をはじめとして、様々な破綻が生じています。
「本当のことを明らかにしないで民衆を扇動するマスゴミに任せてはこの国はダメになる。マスゴミに対して反対ののろしを上げよう。さぁ、簡単だ。彼らのスポンサーに対して直接電話をしよう! 『御社はこのような不見識な記事を出す会社に広告をだすのですか?』と聞けばいい。さぁ、ネットの力を見せ付けよう!」
さぁ、貴方は義憤に駆られて、あたかもそれしか方法がないと自分の中で結論を出して電話の受話器を取り上げます...。では今おこなわれる対マスコミ向けの"祭り"は果たして印象操作による結果ではないでしょうか? 本当に貴方はそれが正しいと自分で判断したのですか?

ポリエチレン製の袋が川に流れていく印象的な映像が流れ、自然が汚されていく。という映像が流され、ファーストフード店などで大量に消費されていく食品トレイが映し出されます。
次に自然に優しいいう言葉と共に紙製品で出来たトレイやカップ、袋を使っていますという店が出されたらどうでしょうか?つぎにそこで買うと考えたことはありませんか?
そもそも製造コストを考えたら実はポリエチレン製のほうがコストが低く、また再利用可能が可能なのかもしれません。ポリエチレン製の食品トレイを使うことと、ゴミの排出の関係はまったくの別問題であり、そこに紙製品を使う根拠はありません。紙を使うことは貴重な森林資源の消費であるにも係らず、自然に優しいというイメージをもったことはありませんか?

...っとまぁ、こんな感じで、よくありがちな光景かもしれません。しかしその背後には様々な心理操作などを使ったプロパガンダ手法があるわけです。どうして人があたかも自分で判断したと考えるかのように宣伝などの方法に選択肢を拘束されていくのかを解き明かしたのがこの本です。興味深くてつらつらと読んでました。
いや、本当に身に覚えがありすぎて怖いぐらいです。読みながら色々とメモしていたため読むのにかなり時間を必要としてしまいました。

さて、こういうプロパガンダに対して抵抗する術はあるのでしょうか。この本ではある程度書かれていますが、決定的な方法はありません。

結局のところ、この事態、情報量が多すぎるのです。すべてを判断するための情報が大すぎ、かつ判断するのに時間はありません。どうしても「見たい情報」「わかりやすい情報」で判断してしまいがちです。つまり自分で自分の処理にフィルタをかけてしまうのですから。

あるとすれば常に自分を俯瞰した形で再評価するぐらいです。すなわち自分の目の前にたって説得する人は何の利益があってそれをするのか、自分がそれを選んだらどういう結果になるのか。選ばなかったらどういう結果になるのか。確固たる数字、あるいは第三者が見ても頷ける資料を提示されているのか。それを判断する方法はあるのか? と判断を迫られたときにはつねに俯瞰し、第三者として自己を見直す必要があります。

何のことはありません。自分が以前紹介したネゴシェーター本と同じです。

自分の中に複数の役割を持たせ、自分の判断軸としての選択肢を数本用意するのです。あらかじめ値引きのラインや平均価格を頭に入れるなどしてもいいかもしれません。
そしてなにより車や電化製品のセールスをされて、ついつい自分が頷いてしまいそうになったときに、(いてもいなくても)「申し訳ない。自分の判断では買えないんだ。家人の同意が必要でね。じゃぁ!」と引き下がって、家に戻って一晩寝て、次の日の朝、コーヒー飲みつつもう一度判断してもいいかもしれません。

何にせよ、人は誰かの影響を受けやすい存在です。だからこそ人は小説や映画や絵画や音楽に感動し、他人の痛みを自分のものと出来るわけでもあります。理念に共感し、行動を共にできるわけです。
問題は、それが他者によって強制されたわけではないにしても、そう仕向けられる方法が存在する。ということを自覚するかしないかでもかなり違うわけです。

難儀な世の中ですよね(嘆息)。というわけで、大変興味深い本でした。メモとして。

...追記。ちなみに上の本で描かれている手法は、何も大衆向け、不特定多数の方法とは限らなくて、自分がいままで読んだ交渉術や人付き合い本などと多くの技法が重なっていました。「フット・イン・ザ・ドア」「フェイス・イン・ザ・ドア」「ローボール」「共感(ポラール)」「ミラー」などなどの多くの心理操作技術がそこに書かれています。なので、そういう意味でも勉強になったりして...。


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