2009年3月13日金曜日

昔を見続ける暇なんてないのだから。

それでもやっぱり「昔はよかった」と考えない理由。」 from Something Orange

興味深かったのでメモと自分なりの意見を。

発端は昨今のアニメでおきた作画崩壊話から。作画崩壊で騒いでいる最近のアニメ好きの界隈から、昔からアニメを見続けている人がマクロスを例にあげているわけですが...。おっと、海燕さんは別の意見を開示されてますし、本筋ではないのが重々承知してますけど、自分なりの作画崩壊に関するスタンスを。

昔は結構作画崩壊って多かったんですよね。上の記事でも引用されてますけど、マクロスのスタープロ担当の話はほんとヒドかった。っていうか、マクロスのベストな作画って数少ないような?
皆、劇場版のクォリティで記憶が上書きされてないか?って気もするんですけど。
数年前にTV版マクロス見直したら「こりゃひどい」と思いましたよ。おかしいなぁ。こんなに酷かったっけ?たまーにいいシーンがあるから勘違いしたのかも。それとも昔の記憶はやはり当てにならないのかとか。

ガンダムだって、ククルス・ドアンの島とか結構ひどい作画、ありますよね。マクロスまで遡らなくても、ナディアの南の島編とかあるわけです。
ただ昔のアニメはクールそのものも長かったせいもあって、バンクシーンのみで構成する回想話とか、あまり作画枚数を必要としない幕間劇を挿入することで、作画スタッフのスケジュールを上手く調整してたんですよ。
まぁ、それができなくなったのは大体マクロスあたりがターニングポイントで、エヴァのムーヴメントあたりから、クール数も2クール、ひどいときだと1クール作品が連発するようになって、海外発注とかが増えだしたのもあって作画崩壊があったり...。2クールで回想話とかエヴァはありましたけど、普通はねぇ...しませんよね。

あと作画崩壊とまではいかなくても、昔は作画監督による個性が強くて、ここらへん以前にもオタキング岡田さんの最初の本でふれられていたけど、「うる星やつら」とかが強かった印象もあるし。クォリティが売りの京アニだって結構作画監督のブレがありますよね。ハルヒとかも顕著でしたし。まぁ、作画崩壊とは違うのであまり触れませんけど。

確かに褒められたことじゃないんですよ。作画崩壊なんて。スケジュールの破綻ですからね。
ただ、スタッフの力量如何ではうまく回避したりごまかしたりできる。まぁ、えばれた話じゃないですが、それもまた味わいですから。っていうのが自分のスタンスだったりします。どうやって辻褄つけた物語にしてしまうのか。ナディアの南の島編。そりゃ確かにひどい作画レベルでしたけど、最後は上手く帳尻合わせましたよね。大体TVアニメにOVA並みのクォリティなんてあの頃望むのがどうかしてた。というのもあるんですが...。

まぁ、作画スケジュールの破綻とか、海外発注でのレベルの悪さとか、そういう様々なトラブルとか表に出てこない裏の内情とか、演出とかを知るってのも面白さの一つ(まぁ、邪推っていうかそういう楽しみですけどね)ではあるんですが。

とはいえ誰も彼もが、作品の裏側とか監督の意図とか、そういうのを考えて物語を受け取れ、っていうのもすごい傲慢だし面倒な話ですよね。ただ、そういうのを面白がる人...自分もそうですけど...は確かにいるんですよ。(前にも書いた、物語世界に思いを馳せたりするのもその一つというか)

多分ここらへん、「へうげもの」でも描かれている茶器とかの探究心にも似たようなものがあるんじゃないのかな、と思うんですよね。茶器という器は決まっているのですから、どこにその楽しみを見つけていくのか。利休が侘びに見出したように、織部が派手さ闊達さを見出したように。人々が見る形の背後にある何かに価値を見出していく楽しみがそこにあるのだと思うのです。

4063727742へうげもの 8服 (8) (モーニングKC)
山田 芳裕
講談社 2009-02-23

by G-Tools


ただ、最近は先に書いたように作画とか絵のブレを認めない方向にあるのは正直感じます。今のアニメ好きの感性っていうか、それが狭量なときを感じとすればそういうものかもしれません。

ただ自分だってアニメを見始めたころ、さずかにマクロスのアレとかナディアのアレはヒドイとか思っていたもので、ネットの今なら声を大きく騒いでいたかもしれません。当時、アニメ好きとはいえそのコミュニケーション範囲はすごく狭かったんですからね。ま、つまるところネットで、そういう声が発しやすくなったのと、拾いやすくなったのが一因じゃないかな、とも思うんですよ。

とはいえスタッフ達の作品は画面に出ているものがすべて。という意見には、まぁ、そうだろうけれどそうじゃない楽しみもあるんだよ。っていうぐらいしかいえないですよね。まぁ、アニメの楽しみ方は人それぞれっていうか。まぁ、萌えだのなんだので思考停止するよりは、(物語の楽しみの一つ)としたほうがもっとハッピーだよって気もあるんですが。

��ストライクウィッチーズのあれはどうみたってパンツだろう。だいたいパンツみてどこが楽しいんだ、ゴルァとか思いつつも、WW2の航空機、あるいは空軍関係ネタでクスリと笑う自分のような奴もいることはいるんですよ!)

あと物語っていうのは、海燕さんがいう「混沌と猥雑」っていう書き方をしたように、時々何かの間違いというか組合せの妙ですごく面白く感じたりするものがあるんですよ。複数の人が組み合わさって作られた作品には時々化学反応みたいな、ジャズでいうセッションのような爆発がありますからね。
そういうのを込みで物語を楽しみたいな、と思います。


あと、昔の作品は良かった。ということには自分はあまり組しません。

過去はノスタルジーによって美化されますからね。今も過去の作品が良かったという人がいるとすれば、それは多分、今作ったとしてもこれからも残る作品であって、その背後には無数の消えていった作品があるわけです。
何がいいたいかって言えば、良いもの、楽しみたいものが欲しいのなら、良いもの、楽しいものを探していくことを忘れてはいけないんだと思うんですよ。いつまでもガンダム、ガンダム言ってんじゃないよ。新しい楽しみを探しにいこうぜってことです。(ガンダムは好きだけど、新しいものだって素晴らしいかもしれないって単純なことですよ)
昔の作品には敬意を払えど、信仰する必要はどこにもないんじゃないかな、と。

過去の蓄積から、中々エポックメイキングなシロモノは生まれないと思いがちですが、意外な発見があるかもしれないじゃないですか。

人生は有限で、好きな作品ばかりを読み返すことは安心なことです。

でも、冒険してもいいじゃないですか。見るに値しないとか、がっくりくる作品に触れることはありますよ。blogには取り上げませんが、「何考えてるんだこれ」と買ってゴミ箱送りにした作品もあります。

でもやっぱり新しいものを探すのは止められない。

自分が好きだった作品をblogに書いて、手にとってくれた人も好きだといってくれれば嬉しい。自分と同じものを好きな人が紹介している自分の知らない作品があれば手にとってみるのは面白いことです。

新しい衝撃を探して、そこに次なる楽しみを見出していくことを忘れないようにしていればそれは楽しいことだと思いますね。やっぱり。


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