あるときTwitterで流れた文章
「 まおゆう面白いとか言ってる人は「ルワンダ中央銀行総裁日記」読むべきだよねー http://bit.ly/9EOWWN 」
よろしい、では読んでみようじゃないか!ルワンダの長き道のり。日銀出身の服部正也が、IMFの要請によって1965年、アフリカの小国ルワンダへ中央銀行総裁として赴くことから話はスタートする。当時のルワンダはアフリカでもっとも小さく貧しい国。少数民族ツチ族から多数派のフツ族による革命で王政を撤廃して民主政権へ移ったばかりの国だった。その中央銀行総裁の(外国人)前任者が病に倒れ、ほとんど職務につかないまま任地を離れることなり、服部が指名されることになった。つまりほとんど初代中央銀行総裁という役割。
首都キガリについた服部が見たのは財政赤字であえぐ一方、人材がいないルワンダの内情だった。
経済は正直言えば農業主体で、二重為替レートが存在しているのと一次生産品しか輸出品目がないこともあったりして貴重な外貨は流れ出す一方。宗主国系列の外国資本による銀行がひとつしかなかったり、外国人に優遇された税制などで税収は乏しくアンバランス。
IMFは一律の援助(通貨切り下げなどの条件)を提示するが、大体にして借りた借款などどう返せばいいのかのあてもない。技術系官僚が不足しているため教育もままならない。失礼ながらルワンダまで送られてくる人材は突き詰めていえば宗主国では職につけないレベルの者たちばかり。
中央銀行総裁(といっても十人程度の部下しかいません)になった服部は初代大統領カイパンダとの二人きりの面談でどういう国家にしたいのかという服部氏の問いにカイパンダ大統領はこう答えます。
私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福を願ってきたし、独立ルワンダにおいては、ルワンダの山々に住むルワンダ人が昨日より今日の生活が豊かになり、今日よりは明日の生活が豊かになる希望がもて、さらには自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待を持てるようにしたいと考えている。私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリに住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。
その言葉を受けて感銘を受けた氏は彼からの信頼を獲て、ルワンダの財政再建に取り掛かることに。
なんていうか以後服部氏が見せる政策や対応、交渉術などすべてがパワフル。明治のころから綿々とつながる日本を復興させた官僚集団、その良質さの発露というべきか。
ルワンダにすむ国民を豊かにするという意欲。
日本銀行のほか欧州で積み重ねた金融に対する知識。
綱渡りのようなルワンダ財政を落ち着かせるための技術(総裁でありながら自ら帳簿までつける勢い)。
そして、中央銀行総裁という役割だけではなくルワンダ全体の経済政策まで描き出すその見識。
ルワンダに必要なものが、為替レートの正常化(二重レートだと外国人が両替するだけで利益が生じますので)、公平な税制(少数の外国人に優遇された税制と収入の差が税収の少なさの原因のひとつ)、価格の自由化(外国資本系企業の独占価格や品目の固定がルワンダ国民を内向きな農家...つまり資本経済に程遠い状態にしていた...無論、米などの生活に必要な物資には上限額を導入)だと見抜くやさまざまな手立てをうちます。
本来であれば中央銀行の役割ではないことまで服部氏は踏み込み、ルワンダ人から内情を聞きだす一方で地元商人たちに対するコンサルタントまで行います。外国人商人たちがいうようにルワンダ人に商取引の能力が欠けているのではなくその機会がなかったのでは考えると、小額の貿易(最初は密輸入)を肯定するだけではなく、地元商人が扱いやすい最適なトラックサイズを検討し、2トントラックとするや税制緩和で購入しやすいよう窓口を作る。
海外銀行との取引においては自国の経済復旧プランを提示する一方、既存銀行の既得権益を(ゆるやかに、かつ確実に)制限し、外国資本導入にあたってルワンダ人が必要なように仕向けるなど、その方法は一貫しており情報を自分の目で確かめ、目的とその着地点を明確にし、交渉相手に対してWin-Winの関係に持ち込むよう対応する氏の実務っぷりです。
画一的な政策で対応するのではなくルワンダ国民の白人に対する感情や、白人たちの既得権益思考と無能さを見切った上で、二重為替レートの撤廃と通貨切り下げ処置に成功。主要輸出農産物であるコーヒー豆などの物価設定なども成功するだけでなく、倉庫運営、定期バス路線の確立などさまざまな施策を施してルワンダの財政を再建させるとともに、発展の道筋をつけます。
当初せいぜい2年弱と考えていた任期期間は5年あまりにもなり一応の道筋をつけたところで服部氏はルワンダを離れることを決意。慰留を求める指導者たちに、中央銀行総裁はその国の人がなるべきだとつげ、ルワンダを離れます。
その後、ルワンダを二回訪れることになる氏はその豊かさに驚いたのでした。
めでたしめでたし。...と、物語がここで終われば何事もないのですが、氏の離れたルワンダはその後迷走していったことを知っているので読後は複雑なわけです。貧しいながらも夢と希望に満ち溢れていたはずのルワンダのその後を知っているだけに...。
氏に全幅の信頼をおいたカイパンダ氏はクーデターで退き、その後大統領になったハビャリマナ氏も暗殺され、ルワンダの情勢は一挙に混迷。少数民族である亡命ツチ族の一派による「愛国戦線」が誕生するに至り、暴徒と化したフチ族による国内のツチ族および穏健派フチ族に対するジェノサイドが頻発する最悪の展開へとつながっていくわけです。
そもそもカイパンダ氏とて、服部氏の著作の中では純朴で誠実な大統領というイメージですが、ルワンダでおきたジェノサイドという点で言えばカイパンダ氏もジェノサイドに加担していた一人であるという指摘もここに書いておかねばならないでしょう。
では先ほど引用したカイパンダ氏の「ルワンダ人」とは、フツ族を称して言っていたにすぎないのでしょうか。
自分が読んだこの本に復刻・増補版であり、服部氏自ら1994年、ルワンダ虐殺をめぐる問題について書いた増補1が、西側諸国の通説とは若干異なる側面を描いていることを興味深く読むべきでしょう。事は西側メディアが描くような単純明快な話ではないことがうかがい知れるわけです。亡命ツチ族の問題や「愛国戦線」が隣国ウガンダの強い影響下にあること。ルワンダ国民が隣国ブルンディにおける民族紛争を見ていたこと。それでいて西側諸国の「愛国戦線」に対する肩入れとそれを報じないメディア。
ルワンダ後、アフリカ途上国の発展に尽力した氏の見識を無条件に肯定できるソースはありませんが、重要な示唆に富むものともいえるでしょう。
(個人的にはルワンダ周辺における民族紛争はともかく、その国際問題に対するアプローチと日本...自衛隊派遣が行われた場合の必要な対応などは非常にバランスのとれた、かつ偏りのないスタンスだと思います)
希望に満ちたルワンダの陰でジェノサイドが起きているとしたら? 服部氏の成した行為はそもそも無駄だったのではないのか。
...自分はそうは思いません。その後、アフリカ諸国をめぐる問題が一向に改善しない点を見ていれば今から40年も前に一人の金融実務経験者の成しえた行為をもっと真剣に検討すべきでしょう。
そして氏がいなくなったあとのルワンダのその後についても検討が必要です。
そして、本書の最後の一説を引用しようかと。
私は戦に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さであると固く信じている。私はこの考えをルワンダにあてはめた。どんなに役人が非効率でも、どんなに外国人顧問が無能でも、国民に働きさえあれば必ず発展できると信じ、その前提でルワンダ人農民とルワンダ人商人の自発的努力を動員することを中心に経済再建計画をたてて、これを実行したのである。そうして役人、外国人顧問の質は依然として低く、財政もまだ健全というにはほど遠いにもかかわらず、ルワンダ大衆はこのめざましい経済発展を実現したのである。途上国を発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要素もまた人なのである。
氏が最後に書いたように、結局何事かを成すのは人であり、その結果を無にするのは人であるにしかすきず、結局は人の育成そのものが問題なのかという点も考える必要があるでしょう。
忘れてはいけないのは、確かに問題があったかもしれないが希望は確かにあった。希望を実現できる場所もその道筋も方法もあった。
今は、それを持続して確かにものにする方法が求められている。というわけです。
歴史はいつだってぶれながら確かな方向へと歩む。そのことを忘れないで、確かな方向ができるかぎり(すべては無理かもしれませんがそれでも)多くの人々の幸せ、win-winへ歩むことは選択できるはずです。
��ああ「まおゆう」とどう関連づけようかと思ったけれど、話が変わってしまうので別エントリで!
>> 「
「まおゆう」のあの丘の向こう側とは...メモとして。」