自分の仕事の都合上(会社でも、業務上でもアウトサイダーの位置に立っているので)、色々と今まで知らなかった話とか、世の中の事情という話をしたり、聞いたりすることがある。
その中で、「例えて言うとね」で始まる話をしてしまっている自分がいて、最近はつとにこれをやめてわかりやすく噛み砕いて話すようにしている。何故なら、例え話は時々人を間違った認識へと誘うからだ。
判りやすく、理解しやすい話は、人を安心させる。でも、それは答えではないかもしれない。そして、疑うことを知らない人は、「間違っているかもしれない答え」を「間違いのない答え」だと捕らえてしまう。もしくは違う方向へ認識を捻じ曲げてしまう。
で、最近、「おや?」と思ったのは、
「もしアメリカがイラクだったら……」という話。アメリカとイラクの人口比が11:1であるから、出来事を11倍して考えてみようっていうのが、中東問題のブログで扱われているとのこと。例えばイラクの一週間での死者が300人であれば、アメリカで一週間に3,300人が死亡したということになる。この手の統計(と言うほどでもないが)的なレトリックは一番疑いの目で見てしまう。
#ちょっと興味をもって調べてみたが、アメリカでの過去五年間の銃による死者は10万人あたり平均3.17人らしい。アメリカの人口が2億8千万とちょっとだから、おおむね年間9千人程度が銃によって死亡していることになる。おや? 計算してみると、一週間あたり170人となる。イラクと違って一応平和なはずのアメリカでこれだから、ちょっと異常だぞ? (ソース元は→■、アメリカの人口に関しては外務省のホームページも参考にした)
さて、これは確かに憂慮すべき出来事だ。しかし、この「例え話」は結果にのみ注目して、原因と結果、そしてそれがもたらす影響なんてものを考慮していない。
この300人という死者がいかなる理由で発生したのか、自国ではなく流入するテロリストによるイラクの不安定化を図るテロに巻き込まれたのか、もしくはイスラム教での対立から発生しているのか。それが判らない。それが判らないのに、この手の例え話を持ち出してしまうと、事態を捉え間違ってしまうような気もする。
最近ニュースでもあまり取り上げない(というか、ありきたりのニュースになって取り扱いがおざなりになりつつあるというべきか)イラク情勢だが、極東ブログ経由での、イラク戦争を巡る最近の論調や情勢では、スンニー・トライアングルやナジャフ方面を除いて情勢は落ち着きつつあるという→■
例え話はこういう本質を時々ぼかしてしまう。一週間で300人の死者が出た。というので在れば、ちょっとイメージすればいい。それぐらいはイメージしたっていい。11倍なんてする必要はない。300人の死者が一度に発生したとすれば、それは何らかのテロ、もしくは宗教的対立、米軍に対する対立から発生したものなのか、それが局所的なものなのか、イラク全土でのものなのか。そして、ネットの海を探ればいい。答えはある程度は出るだろう(それでも、人は見たいものしか見ないのかもしれないが・・・自戒を込めて)。
ともかく、例え話は聞きたくない。聞きたいのは要点、もしくは判断となるべき情報であり、自分が解釈しやすい都合のいい答えではないのだから、そう思って最近は色々と探ったりしている。無論、時間はかかるにしても。
しかし今日も帰りの報告に上がっていった途端、来週以降の仕事の予定に関して同僚に捕まってしまい、一から仕事の段取りを説明する羽目になった。1時間ほど帰社時間が遅れてしまったが・・・説明するのが面倒で「例え話」をしてしまいそうになるな、これは(苦笑)
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