「政府暴政を行うて民間に不服の者あらんことを恐れ、小人を遣って世間の事情を探索せしめ、その言を聞いて政を処置せんと欲するものあり。この小人を名けて間諜という。(略)故に間諜なるものは、ただ銭のために役せられて世間に徘徊し、愚民に接して愚説を聞き、自己の憶断交えてこれを主人に報ずるのみ。事実に於いて豪も益することなく、主人のためには銭を失うて徒に智者の嘲りを買うものというべし」(P249 福沢諭吉「文明論之概略」よりの引用)
旧約聖書では人類にとって二番目の、古い職業(もっとも古い職業は、あれですな)といわれるスパイ(間諜)。それを揶揄したのが上の福沢諭吉の言葉ですね。この本、ちょっと興味があった事例を知りたくて購入したのですが予想以上に示唆というか、脱力な話の数々でしたね。
ちょっと脱線しますが、自分としてはイラク戦争について、アフガン戦争ほどの大義はないにしても大量破壊兵器の存在があるのであれば、予防処置としてやるしかなかろう、という消極的ではあったものの賛成の立場だったのは事実です。あと、あのイスラム世界に民主主義のくびきを打ち込みたがっているネオコンの意図というのもあるだろうなというのも考えていましたが…。結果的にアメリカのグタグダかつヘタ打ちまくりの占領政策のおかげで泥沼化しているわけで、頼むよ、君たちというのが今の正直な気分だったりするわけです。
(あの当時、イラク戦争に賛同することで北朝鮮問題についてのアメリカの支持確保っていう側面もあることはあったのですがね。それもこのヘタな占領政策のおかげでクダクダですわ…)
と、こ、ろ、が。いつまでたっても、国連決議まで持ち込まれた大量破壊兵器は出てこない。どういうことよ、それ。精度の高い情報じゃなかったのか? と思っていたのですが、この本では一体全体何がどうして、そういう誤った情報が発生したのか。について、諜報機関の錯誤という点を明らかにすることから章が始まっています。
いやね、読んでいて、君たちそりゃダメだろうという気分にさせてくれること請け合いです。諜報機関はスーパーマンの存在ではないにしても(ジャック・ライアンみたいな分析官とかが颯爽と現れるわけではないしね)、もう少しまともだろうと思っていた想像は斜め上の現実に打ちのめされます。
そこにあるのは希望的観測による伝言ゲームだったりするわけです。独裁者が支配する政府機関に信頼のおけるスパイなんざそもそも存在する余地があるのか(物事が独裁者の意見によって決まる以上、物事が常に独裁者の思考の内側にあるため、何がしかの策動があることすらその政府組織の誰もが知る余地はないわけで・・・)という、トホホな現実に直面します。
そしてこの本はアルカイダネットワークについての国際防諜の流れ、日本の警察(および公安警察)のトホホさ加減、中国、ロシアの諜報機関の動き、そして朝鮮半島をめぐる諜報機関の動きなど、この手のアクションに興味のある方なら読んでいて損はないような話の連続です。そして、章の最後にはその話を書くにあたっての膨大な引用著作のリストがあるわけです。
たとえば、日本の数少ないスパイマスター(?)の一人でもあった後藤田元官房長官のイギリスでのエピソード。
冷戦当時、英国諜報機関のMI6はソヴィエトの二重スパイに組織中枢を侵されるという大失態な状態だったけれども(キム・フィルビーなどのケンブリッジ五人組)、その中で防諜にあたっていたある人物より、後藤田氏に大戦中のゾルゲ事件に関する書籍を英国に持ってきてほしいという願い事をされる。過去の事例を知りたいというのかと思っていた氏だったが、実はゾルゲ事件のルートはまだ上海に残っており、その上海のルートは英国にもつながっていた…。英国諜報関係者は執拗なまでの追跡調査を行っていた。という話で、まったく関係ないルートから、この氏のエピソードが補完されることも紹介されている。
また、英国諜報機関のIRAに対する情け容赦のない諜報活動や、対するロシアのリトビネンコ氏殺害事件などに代表されるルール無用の暗殺手法、中国のしたたかな諜報活動、転じて脱力感すらわく日本の諜報組織活動や、得体の知れない組織になりつつある公安警察などの興味深い話の連続なので、この手のカウンター・インテリジェンスなどの話に興味のある人であればよんでおいたほうがいい話ではないかと思うのです。
諜報機関について書かれた話にすべてが事実であることはないし、真実はない。だが、読んでみて損はないですよ。
追記
で、読み終わったあと、これだけの話を書くとは著者はどういう人だろう。と思って調べて見ましたけれど…まぁ、あれだ、確かにこの引用文献の大量さのような粘着的(失礼)な作者だなと思わず苦笑してしまったのも事実。