公開初日に見てきました。うん、傑作とはいえないかもしれないけれど、良作だと思う。
これを日本人監督ではなく、クリント・イーストウッド監督がやってしまうんだからたまらないんだよなぁと思うわけですよ。いや、ほんと。
太平洋戦争末期、小笠原兵団指揮官として着任した栗林中将以下、日本軍将兵たちは過酷な島の環境に耐えながら、いずれくるであろう米軍のために防御陣地を構築していた。指揮官の中でのは不和等を含みながら、マリアナ失陥後、上陸してくる米軍を迎撃するのだが…。
「プライベート・ライアン」以後、定番となった乾いた色調の風味の中、硫黄島の戦いを描写していた。
見ていたたましいのは、あっさりと自決を選ぶシーンではあるなぁ。友人とも話しをしたけれど、勝ち目の無い戦いで、持久戦術をとるのは酷く難しい。(あの当時も、今もかもしれないが)日本人は華々しい戦果を求めたがるしなぁ。しかし、それでも最後の最後まで戦い続けることが求められていた。
ストーリーは所々映画的フィクションを織り交ぜながら、硫黄島での戦いの一部始終をちゃんと描いているんじゃないかと思う。キャスティングもいい。渡辺謙はすっかり渋みのあるいい俳優になり、栗林長官をちゃんと演じていたと思う。
そうそう、最近、ある雑誌で栗林中将についてある疑惑(ノイローゼ説と、味方による殺害説)が取り沙汰されているが、それは横においておこう。
戦争はある意味"狂信者"(ファナティック)が支配する世界ではある。だが、この映画が重要なのは、その"狂気"は彼らが出てきた日常をも犯し、侵食していることを描き出していることだ。主人公の一人、兵士が営んでいたパン屋のくだり、島に配属されたばかりの憲兵隊上がりの兵士がどうして硫黄島に来ることになったのか、それぞれのシーンがその"狂気"を描き、迫ってくる。
誰かが悪いのだとすれば、それは誰が悪いのだろうか。戦史、歴史に興味を持てば存外戦争というのはどうしようもない理由からスタートしていることが多い。避けられたはずの展開がどこかでボタンを掛け違い、それがエスカレートして、決して逃れられない道へとなっていくことだ。
日本の場合、どうしてWW2にいたる道になったのか、学生時代でも教えてくれない。あるニュースTV番組の司会者はのうのうと「硫黄島でこんな戦いがあったなんて知りませんでした」ととんでもないことを言う始末。学校では確かに教えてくれないことばかりだからなぁとは思うが、それでいいのだろうかと思う。
確かに硫黄島での戦いは悲劇だった。勝ち目の無い戦い。しかし、時間を稼がねばならない。無駄死も同然だ。しかし、彼らの犠牲が無ければ、島嶼をめぐる戦いで流した血が無ければ、米軍によるオリンピック作戦(本土上陸作戦)は行われていたかもしれない。ある種、不幸な血の代価として、オリンピック作戦は中止され、アメリカ政府は、戦争後を視野に入れた原爆投下を選択するのだが、これは悲劇としかいいようがない。
そういう状況に追い込んだのは指導者達だけではなく、名前もない中堅官僚達でもあるわけだ。どこからボタンを掛け違えたのか。そして、1943年前後までとはうって違い、1944年からの戦傷ではなく餓死などの戦場以外での死者数が急激に多くなるような羽目になったのか。もう少し、その愚かさを学ぶ必要があるように思える。
しかし、そういう"決算"が日本人の中に行われていないかぎり、この作品のような問いかけや描写は生まれないだろう。そのかぎりにおいて、どこまで行っても、その犠牲を称えるだけか、国によって幸せを奪われたという悲劇か、どちらか一方を描くだけの映画が生まれるだけじゃないのかと思う。
早いところ、日本人の手による日本人の戦争を描写できる映画が作られることを祈る。個人的には、8/15以降の千島列島での戦いや、特攻を拒否して最後の最後まで戦い続けた芙蓉部隊の物語など、もっと知るべき話があるとは思うのだが・・・。
#少なくとも年末までにアメリカ側から見た、硫黄島の戦い、「父親たちの星条旗」を見に行こうと思う。
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