幕臣たちと技術立国―江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢 (集英社新書) | |
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明治維新の影に隠れて、江戸時代はあたかも暗闇時代のように思っている人はまだいるかもしれない。だが、江戸はできるかぎりのリサイクルにより当時の人口数を抱える都市としては清潔な町並みであった。文明の民度を計る重要な要素でもある識字率も高く、寺子屋に筆頭されるように庶民でもある程度の学問を習得することは出来た。
明治維新以後の技術発展は、確かに江戸時代のそういった下地があってこそできたことだったのだ。
だが、そうはいっても江戸幕府の組織は硬直化し、疲弊しつつもあったのも事実。
その明治維新直前、幕末の江戸で世界の技術に追随するべく活躍した技術官僚(テクノクラート)達の物語がこの本。
個人的には函館戦争に関して興味があって、中島三郎助、榎本武揚はわりと詳しく調べたことがあり略歴などは覚えているけれど、江川英龍は不勉強でちょっと知らなかった。
だが、この人の話を読むと意外な幕末人脈、思想つながりがあって「なるほど」と理解。この江川英龍、小さい頃からわりと才気を認められていた。元々幕府直轄領(天領)を監督する家に生まれただけあって、色々と恵まれていたのも事実ではあるが、学問に慣れ親しんでいたらしい。
幕末の段階で、このままの制度では良くないと目端の利くものは誰しもが思っていた。海外からくる船を打ち払いしたところで、植民地を広げようとする海外列強諸国と対抗できるだけのものを持ち合わせてない。そうこうしているうちに海外から漏れ伝わるアヘン戦争の結末・・・。
火力が必要と、長崎の高島秋帆は独学で勉強して砲術理論を体系化した。それを聞きつけた幕府は洋式砲術を体制に取り込もうと考える。
英才と認められていた江川英龍も師事するが、江戸時代始祖からの和式砲術の重鎮たちが横槍をいれ、刑場の犬とまで言われた鳥居耀蔵は、高島秋帆を牢獄に送り込む。
その火種は、黒船対抗のための江戸湾測量のおり江川英龍との対立が遠因していた。彼はこの傑物との対立で、その保守的傾向に加えて、洋学者廃絶の動きまで見せることになる。
そうか、高島平ってこの地で様式砲術訓練を行った高島秋帆からきたのね。とかトリビア的な話はともかく、読んでいて思ったのは、やはり組織内改革はよほどの人物がリーダーシップをとらないと難しい。という点。やはり江戸幕府は滅ぶべくして滅んだ。としかいいようがない。
鳥居耀蔵が皆がいうほど愚かであったわけではないだろう。でなければ、旗本の養子からあそこまで成り上がることは無かったのだから。彼に欠けていたのは、世界の枠組み(スケール)感だったかもしれない。もし、彼にとっての世界が江戸幕府という政府体系ではなく、世界の中の日本、その統治機構としての江戸幕府であったとするならばどうだっただろう。無論、そんな形で彼が世界を捉えることは出来なかった。彼は己の権力がすべてであり、己の権力を満たすための江戸幕府の維持こそが最善の目標だと考えていた。その保全のためには彼を抜擢した水野忠邦すら裏切る始末。
(もっとも水野忠邦がもうすこししっかり天保の改革していればね、とは思うのだけど)
おっと、話がズレた。
ここで面白いのは、幕府の天領を預かっていた江川英龍が一般農民に対して洋式軍装・訓練を施して農民兵による防衛隊を組織するのだけれど、彼とつながりがあったのは、なんと日野の名主であった佐藤彦五郎。佐藤彦五郎といえば彼の妻の弟は、土方歳三。
ま、なんというか、土方歳三がつくりあげた新撰組の組織編制は、おそらく江川の農民兵の考えも組み入れたものだったろうとうかがわせる。(あと、氏育ちに寄らない実力本位の組織活用もそうかも。というのはいささかこじつけにすぎるか)
で、一方の中島三郎助も多摩を中心としてた剣術(多摩は八王子千人同心や裕福な農家を中心に剣術が盛んだった)天然理心流を学んでいた。というわけで、以外や以外、結構、幕末においては多摩地方で技術、組織など色々な人脈のつながりがあったわけで、「へぇー」と思いつつよんでいました。
個人的に著者のバイアスからか、勝海舟には恐ろしく手厳しい書き方がされているのも事実で、そこらへんはいくらか割り引いて読むのがいいかもしれない。
幕末好きな人は読んでみてそんはないかと。
※あー、みなもと太郎の「風雲児たち」がまた読みたくなってくるな。
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