・「なぜライフハックスで忙しさが解消しないのか?」 from 萌え理論blog
いつか書こうとおもっていたネタだったので、書いてみる。
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読者の方々は、ライフハックス的な記事、それも心構え的なモノで、実際に忙しさが嘘のように解消した経験が、どれ位あるだろうか。誰しも言われずとも、忙しさを解消したい、スケジュール管理したいと、一度くらいは…いやいつも考えるだろう。だが、普通はそんなに上手くいかない。確かに、小学生が夏休みの宿題を溜めてしまうような、そんなだらしないタイプに対しては、きちんと期限を守れ、という指摘は有効だろう。だが、しばしば日本の職場では、むしろ真面目で几帳面な人ほど忙しくなるという現象が見られる。優秀な人や責任感のある人の方から先に潰れていくケースがある。
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あるあるある。
仕事を効率よく進めているが、進めているがゆえに遅れ気味の仕事を任される。火消しの仕事に投入されたりする。ありがちな話だ。自分もそうだったりして、「ざけんな」と口に出したこともあるからなー(嘆息)。
これは「ライフハック」の陥りやすい罠なのかもしれない。
GTDの本では1週間レビューが必要だと書いているけれど、そのレビューのスコープの範囲は、自分にとって想像できる1週間、あるは数週間できないだろうか。
正直、自分はそんなときがあって、今、GTDやフランクリン・プランナーを使うことに正直躊躇いが生じている、もしかしたらやり方をちゃんと見直したほうがいいといいかなと思っているのだ。
どうも、ネットの世界で見るライフハックスはTipsであるか、もしくは上のリンクでいうように自己啓発じみた展開が多いのだ。BizIDの場所でも最初はタスクリストを書き出す重要性について述べられてはいたのだが…。
GTDは、フランクリン・プランナーのような「人生目標」を掲げたからといって、仕事が軽減されるわけではない。と書いてはいるが、ある程度の哲学、指針、マインドは必要だと自分は思っている。
自分の場合、上を読まなければ、セルフマネージメントなどについて考えることはなかっただろうしね。
そこの視点が抜けていると、ミクロなTips、マクロな哲学ばかりだ。自分の身にはならない。結局自己啓発本を読んで成功した人の生き方を読んで「自分も成功した気になっている」のに近いだけの話だ。
Tipsを積み重ねれば、時間は短縮できる。短縮できるか、その余剰時間は何かに食いつぶされる。
簡単だ、
でもさらりと触れられているが、部分最適化は必ずしも全体最適化を促さないのだから。
つまり、「何のために」がないと、部分最適化に終わるんじゃないかと思うのだ。そして、折角の余剰時間は何かに食いつぶされる。上司の指示かもしれないし、不具合対応かもしれないが。
上手くいっているよ。という人もやはりいるかもしれない。上のリンクにちょっとしたことが書いているが、そういう人は会社内である程度自由自在に出来るポジションであるんじゃないかな、とは思う。
どうすればいいのだろう?
GTDは人生目標というのもさほど重要視していない(まったく見るなとは書いてはいないが)。だが思って損はないと思うのはどうして「ライフハック」を行うか、どう「自分に最適化」するかを考えることではないかと思う。
やはり大切なのは一度原点に戻って考えてみることだと思うのだ。
自分は何のためにライフハックスを行いたいのか。
「なんだ」と思うなかれ、結局はそこをちゃんと考えた上でスタートすることをオススメする。
仕事に追いまくられて、自分のスキルが身につかないから、勉強する時間を捻出したい? プライベートの時間(それがニコ動を見る時間かもしれないし、彼女と会う時間かもしれない)を捻出したいのかもしれない。仕事を管理して、不意な仕事による食いつぶしを発生させたくないのか。
それは人それぞれだ。
少しだけ自分が成功したら、回りを見てみたらどうだろうか。
ライフハックは決して自分の世界だけを変えていくものではないのだと思えばいいのかもしれない。自分が変えられたら、次は部下を同僚を巻き込んでいけばいい(チーム・ハック?)。そして次は上司を巻き込んでいけばいい。
組織内ポリティックスがウザい? そりゃ人の世の常だ。我慢ならないのなら、外へ飛び出していけるスキルと人脈を作り上げるようにしていくべきかもしれない。
仕事の余剰時間を作り出して勉強してたっていいかもしれないね(それが会社の倫理としてどうか、という問題はさておく。次の仕事のためのアイデア、お試しの時間はやはり必要なのだから 会社の組織風土としてそれを許容できるかという問題もあるし)。
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こう書いている自分は、どうしてライフハックを行うだろうと考えたときに行き着いたのは、
「自分で自分をコントロールしたい・考えていきたい」
というこの一点につきる。無論、数値的、期間的な目標はそれぞれあるけれど、結局のところこの点につきると思うのだ。
数日前、ひさしぶりに大型本屋の中をぶらつきながら、読みたい文庫、ハードカバーの列を見て、「ああ、この作品も出たのか。ああ、あそこにはあのサイトで紹介されていた本が…読みたいな」と思ったあとで、「あ、でもやっぱり時間ないよなー」と思い、次の瞬間にゾッとした。
「自分で自分をコントロールできていない」
自分の人生は一度きりだ。主導権を第三者にゆだねるわけにはいかない。
無論、自分は勤め人だ。
会社で働き、まぁ、不満はあるが給料を得ている。中小企業の常で残業代は雀の涙。自分の人生を切り売りしているのは事実なのだ。
だが、精神的なものまで切り売りしてやいないかと思い、ゾッとしたのだ。
と、いうわけで、今、フランクリン・プランナーを続けるべきか。自分のやりたいこと、しなければならないことに合致しているのかを考えているところだったりします。
(結局、何かをしたいときは何のためにするのか。よく考えておけよ。という話かもしれない。)
(前振りながいわりには、そういうオチか…)
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