新版 白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち 中村 祐悦 芙蓉書房出版 2006-09 売り上げランキング : 184381 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
終戦直後、日本の降伏によって国共合作も霧散し、中国大陸では国民党が共産党の手によって大陸から追い出されかけようとしていたころ。
蒋介石は以前、自らと対峙していた岡村寧次大将に打診して、満足な教育も受けておらず、士気も低下していた国民党軍の再建のために旧日本軍士官達を招きたい旨を申し入れた。
一方の岡村大将は、終戦後の引き上げなどについて蒋介石ら国民党が便宜を図ったこと、中国大陸の赤化を防ぐ必要があると考えていたことからこれを承諾。GHQの占領下にありながら、苦労して数人の士官を密航という形で台湾へ渡らせる。
(後々、GHQも日本政府も事の真相を知るが、ほぼ黙認という形で彼らを渡航させていた)
これが二十年間の長きに渡って続いた白団(団長である富田直亮が使っていた中国語での偽名「白鴻亮」からとったもの。パイダン)と呼ばれる元日本軍将校による台湾軍教育団の始まりだった。なんと、台湾軍が米軍の教育を受けてもなお、陰日なたに台湾軍若手将校の育成にあたっていた。
以前、金門島などを調べていた矢先、旧日本軍将校らによる白団という組織が台湾軍を手助けしていた。ということは知識として知っていたのですが、この本を読むまでそれが二十年間の長きにわたって続いていたとは知らなかった。てっきり終戦後数年だと思っていたよ・・・。
で、蒋介石が何ゆえ岡村寧次大将に将校の派遣を頼んだかというと、開国後から大陸まで兵力を派遣するまでになった日本軍が精強であると堅く信じていたとか・・・当の元日本軍将校らは自分達が属していた軍に対していささか懐疑的だったのとは対照的ですね。
白団のメンバーは最大期数十人規模まで膨れ上がり、台湾軍士官の教育にあたる一方、その教育システムも確立(必要な教本などは日本にあった旧日本軍将校らによる白団後方支援団体が協力して資料の取りまとめなどを行っていたとか)。台湾軍の動員計画を確立させたとか。
まぁ、多かれ少なかれ日本軍に係わった者が建国直後の軍の設立にかかわったといわれれば韓国軍も同様ですから、台湾軍もおかしくはないかな、とは思いますね。
というわけで読了メモとして。
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