2007年4月12日木曜日

20070412・人は見たいものしか見ない。

マスメディアは絶対に報道しない「電通」というオバケ代理店の暗躍」 from 木走日記

何が人を電通叩きへと駆り立て、何が人を電通叩きへと駆り立てるのか。」 from 真性引き篭もり

正直、はてブのリンク数が多くてビックリした。電通ネタはわりと昔からあるタブーだけど公然ネタだったと思ったので。だがまぁ、半分ぐらいはネタだろう。と思っていたが・・・。
そういう点で言えば「真性引き篭もり」のエントリは示唆に富んでいる。いかんせん長いわ、読みづらいわで閉口してしまったが。

正直言えば、「得体が知れないけれど、周囲から見て敵とみなしていいのが、昔ソ連で今は電通でしょう。結局ルサンチマンじゃん。この貧乏人が」ですまないか>上記エントリ。

電通や博報堂のような広告代理店のようなことをしてのける人物たちは多くいた。広告=イメージ戦略であれば、自分の都合のいいイメージを民衆に伝えられればアドバンテージになる。自分がザッと思いつくかぎり、カエサルの「ガリア戦記」、ナポレオンのイタリア戦役などのニュースもそう。ナチス・ドイツのゲッペルスの簡単で効果的なルールもそうだ。最近の戦争などにおける広告代理店の活動は本にだってまとまっている。

木走日記のエントリの中で語られているように「国民は政治や報道に「事実」を求めますが、オバケ代理店「電通」は事実などには無頓着なのです。/彼らにとって重要なのは「宣伝」なのであります。」というのはある意味正解。資本主義において民間企業は利益の追求が求められる(短期的には、だけど)。

インターネットの普及は貧乏人のルサンチマンを増加させたのか。そうではないだろう。M.マクルーハンが望んだ世界がこれなのか。時々頭が痛くなるときもあるが、公然たるタブーも会話が出来るようになった。それがどれだけ素晴らしいことなのか、それすらも想像できなくなってしまっている人もいるんじゃないかと思う。まぁ、ホンネを言うと脊髄反射的なレスが多くなったなー

電通や博報堂の行いについて、本当のところがはっきりしないかぎり、ルサンチマン的なカウンター・イメージのような印象操作がそこにあるとは思う。渾然一体とした評価(この世が善悪で色分けされればさぞわかりやすいだろうけれど)の中で自分の旗色を決めるには、より慎重になっていくしかないだろうか。

この話、ちょっとのちほど追記するかも。

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