2008年2月4日月曜日

20080204の記録

#あの頃、夢だけで突き進めた時代があった。
幻の2トップ」 from 武藤文雄のサッカー講釈
1995年の話。今からもう13年前だ。アメリカW杯予選で手に掴みかけた出場権を取り逃がした日本サッカーを見ていたサポーター(ファンというべきか)の自分にとって、希望の星は同世代の選手たちだった。綺羅星のごとくメンツが揃っていた。高校選手権などでそのスキルを実感していた四日市中央の小倉、中西、鹿実の前園、城。ほかにも様々な才能ある選手が揃っていた。彼らが目指すはアトランタ五輪。特に攻撃面をリードする小倉、前園、城の三人には特に注目していた。小倉のパワーとスキルを兼ね備えた左足。城の前線で体を張りつつも得点を狙うセンス。その二人と連携しつつ、PAに日本刀のごとく切れ込んでいく前園。その三人が組めばどんな相手だって戦えると信じられた。
結果を言えば、彼ら三人が揃ったは緒戦の1次予選タイ戦のみだった。小倉はラフプレイに倒れ欠場する(くしくも、小野といいアジア予選でちょっと活躍するとすぐラフなプレイで相手を削ろうとする下種なケースがあるということを思い知ったのもこのころ)。その後、小倉の傷は癒えて、名古屋でベンゲル監督のもと、ピクシーと夢のようなサッカーで天皇杯に勝利。これで二次予選もいける。と思ったら、合宿でケガ。これが原因となって彼は代表から離れていくこととなる。
一方の残されたメンバーに、U-17から頭角を現した中田英寿(!)が参加して、前園をもう少し前目で使えるようになったU-23チームは、サウジとの決戦をシャーアラームで迎えて、鬼気迫る前園の突破でゴールを決めてアトランタ出場を決め、本選の第1戦ブラジル戦に勝利。だが、チームの内情は崩壊していた・・・。と、まるであの頃のサッカー・シーンは漫画でもそうそうにないドラマチックな展開だったなぁ。

夢だけで前に進めると信じられた。どんな苦難があっても決して諦めてはならないとジョホールバルで思い知った。その思いは世界の差を知らされたフランスでも挫けなかった。

フランス以後、現実を食い止めるには理想が必要と信じた。エキセントリックなフランス人と付き合いながら自分のサッカーに対する価値観を構築しなおしていった。

祭りが終わり、あとに残ったのはニヒルリズムだった。希望も持てない中、周囲の熱狂と乖離している自分をしる。勝つことだけがすべてではなく、後に続かねば意味がないはずだった。その場しのぎの方策がドイツで破綻するのを見て、「いわんこっちゃない」と呟いたのは負けた証拠だった。

結局、ニヒリズムでは何も残らないと悟って、シニカルでいて情熱的なあの爺さんにすべてを託した。
あの老人が病に倒れてから、まだ自分のスタンスは固まらない。どこへ行けばいいのやら・・・。

と、武藤さんのエントリを読みながら過去から今へと続く思いに耽ってしまった。自分の青春はあの時代のサッカー選手たちとシンクロしていたと思う。というわけでメモとして。



#ひどい、ひどすぎるww
2ch軍事板「【ガンプ】戦場の伝説的英雄 11人目【妖怪】」スレから、アンサイクロペディアのハンス・ウルリッヒ・ルーデルの項。ひどい、この項目見て笑うのはルーデル様がどれだけ人外かを知っている人ぐらいか。ちなみにこの当該スレでは、西のルーデル、東の舩坂となってその人外ぶりが恐れられています。はいw
ちなみに、本家ウィキペディアのルーデル様はこちら

もひとつ、アンサイクロペディアのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの項書いたの誰だ。あまりのディレンタントっぷりに吹いたじゃねーかww



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