2008年2月12日火曜日

日本人は戦略・情報に疎いのか / 太田 文雄

日本人は戦略・情報に疎いのか
日本人は戦略・情報に疎いのか太田 文雄

芙蓉書房出版 2007-12
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日本の戦略・諜報能力は問題がある。そもそも島国だからそんな能力を求められていなかったか?

そういう疑問を持たれたことのない方はいるでしょうか?

外務省もそうですし、ここのところ綱紀が緩んでいるような自衛隊の不祥事の数々を見ていると、そういう疑問を持つ人も多いかもしれません。

果たして日本人の資質として、戦略・諜報に対する能力が欠落しているのではないか。というところまで思う人もいるかもしれませんね。

そんなわけで手にとったのがこの本。そのものずばりのタイトルです。

作者は防大14期。海自から第3代防衛庁情報本部長を経て、現在は防衛学教育学群安全保障・危機管理教育センター長の任に就いている人物で、日本の情報(インテリジェンス)関係を語らせれば最適な人ではないかと思うのです(ま、書けない話も多々ありそうですが)。

その作者が本書冒頭でアメリカ軍士官に対する戦略・情報センスに纏わるテストを日本の防大生徒に試したところ、遜色のない結果になったという意見はやはりなるほどね。とうなづきながら読んでいたり。

つまるところ、民族による軍事的才能にそれほどの優劣が発生するか。という疑問の答えの一つかもしれません。つまり、個としての軍人にそれほどの軍事的才能の優劣が存在しないのであれば、あとの問題はおかれた政治体制、社会体制、諸外国の情勢である。と考えるのが妥当です。

たとえば日本で例を取れば、江戸時代の天草四郎の乱が一例かもしれません。攻城戦では戦国時代での技術を失ったためか、老足軽から攻城兵器の作り方を聞いたとか。その一方で、幕末まで停滞していた軍事技術は、長足の勢いで広がることにもなります。
無論、日本人の新奇なものを好む気質は確かにあるかもしれませんが、やはり民族による軍事的才能云々まではいかないんじゃないかと自分も思います。

で、話を戻します。

日本の場合の戦略、諜報についてはどうだったのか。

作者は古事記まで遡って日本の戦略、諜報能力についての論を進めていきます。ここらへんは自分もしらない話などがありましたので興味深く読むことができましたね。
古事記の内容については伝承ばかりなので、複数の情報ソースからの検証はできない点もありますが、比較的相互検証がしやすい戦国時代を例にとっても戦略能力をもった大名は確かにいましたし、諜報をもって有利に運んだ大名は確かにいました。

ただ、日本の諜報に関する捕らえ方は重要視しているものの、どこかそれに携わるものを下賤のもの、として捕らえている節があるというのは、なるほどねと思いました。
以前にも紹介した「諜報機関に騙されるな」の冒頭の文章です。書いたのは福沢諭吉ですが、もう一度引用します。

「政府暴政を行うて民間に不服の者あらんことを恐れ、小人を遣って世間の事情を探索せしめ、その言を聞いて政を処置せんと欲するものあり。この小人を名けて間諜という。(略)故に間諜なるものは、ただ銭のために役せられて世間に徘徊し、愚民に接して愚説を聞き、自己の憶断交えてこれを主人に報ずるのみ。事実に於いて豪も益することなく、主人のためには銭を失うて徒に智者の嘲りを買うものというべし」

この点を見る限り、日本においては「忍び」「間諜」などはどうしてもダーティなイメージが拭いきれません。アメリカでは才能ある士官は情報部に配属されるものと相場が決まっていますが、日本ではそういったこともない(ここらへんは軍制度の問題もあるんですがから日露戦争までの間に日本軍が行った周到な諜報活動を思うと、本当にどうして…と思いますよね

一方、イギリスでは貴族階級がノーブレスオブリージュなのか、この手の諜報機関に携わることが多いですね(それはそれで問題もあるのだけれど)。

結局のところ、戦略も諜報もその国が必要とされる必要があるのかもしれません。
日本において、古事記・平安・南北朝・鎌倉・戦国時代、そして幕末から日清日露まで日本国内では継続した内乱あるいは外敵に対する対応が求められた時代だからこそ、指揮官や指導者が戦略能力を、そして諜報担当者がその能力を発揮したのでしょう。
ほぼ一世紀に渡る国内内乱を戦いぬいた戦国大名についてもそうですし、日露戦争の国家・軍レベルの指導者はすべて幕末からおよそ30年間を継続して戦い続けた歴戦の将官達でした。

ではどうして、日露戦争以後が駄目だったのか?
この本ではその点についてあまり明確な説明はありません。湾岸戦争以後のアメリカ軍がそうであったかのように日本軍において軍士官達が慢心したからなのでしょうか?

確かにその傾向は否定できないでしょう。泥沼の日中戦争に足を踏み入れて、撤退時期を逃したこともそうです。個々としては中野学校や電波傍受部門など優れたセクションがありながらも全体的にそれを生かすことの出来なかった指導部などアレコレと問題をあげればキリがない。

自分の今の時点での意見は、日露戦争までの第一義であった国家存続という大命題が達成できたあとの視野を築くことが出来なかったのが第一点。
(イギリスでも見習って海洋貿易国家にいけばよかったのにね。なまじ隣の大陸の利権に目がくらんでしまったのが第一点。誰かを引きずり込めばよかったのに、分け前を独り占めしようと思われてしまったのが問題かと)

つぎに日本陸軍が手本にしたプロイセン派の問題点、政治的問題より軍事的理由が優先してしまう大問題(第1次大戦に至るドイツのダメダメっぷりは、「八月の砲声」を読んでいただければよくわかるかと)の本質を理解できなかった点もあるかもしれません。これは陸軍だけではなく海軍も同様ですが。

第1次大戦に参加していれば、近代戦の様相を理解できたかもしれませんが…。
なんにしても、まだ自分の中では結論が出ていない問題ではあります。

この問題点について作者の別の著作で述べているかもしれないので、これからこの作者を追いかけてみたいと思いますね。

最後に。
以前にも自衛隊関係の方から伺ったことがあるのですが、この本でも司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で植えつけられてしまった乃木将軍無能説の否定が行われていました。
(自衛隊関係者も、この本でも、あの旅順の戦力評定を誤ったのは当時の軍司令部であり第三軍にはあれ以上の手を取れなかった。という話です。さて、皆様はどう思います?)



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