筑摩書房 (2004/05)
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ここ半年あまりで一番衝撃をうけて、ゆっくりと読む本となったのがこれです。なんだか、二週間ぐらいかけてゆっくりと読んでいましたよ。
著者は第82空挺師団"オールアメリカン"に在籍していたこともある軍人で、主に戦場において人を殺すという行為が、第二次大戦以前と以後でどのように変化したのかを克明に書いています。
自分にとって驚きだったのは、ナポレオン戦争時代のマスケット銃の命中率の低さが当時の技術レベルからではなく、単に兵士の大勢が狙いをつけて撃っていなかった(相手の上へ目掛けて撃っていなかった)ことにも起因するというあたりからでしたね。南北戦争では、兵士が「撃ったフリ」をしていた実例が多く残っているとか。
大体、第二次大戦で兵士の相手兵士に対する発砲率が15~20%っていうのは、知らなかった事実でした。
兵士が人を殺すことをいかに正当化するか、例えば、戦友愛、敵の非人間化(ヤンキーだとか、モンキーだとか、まぁ、言うなればありがちな話です)、目的の正当化(民主主義の優位、対テロリスト、対宗教、その他もろもろ)、そして殺すことに対する衝撃度合いは、その距離に反比例(つまり、近くなればなるほど殺すという衝撃は多くなり、遠くなれば少なくなる)するなどといった事例も数多く紹介されます。
戦場での様々なエピソードを交えて(それらはすべて在郷軍人達のインタビューから、WW2、ベトナムなど戦いで実際に人を殺した兵士達から集められています)、「戦場において人を殺す」という行為がいかに行われてるのか。ということに関して丁寧に記述されています。
「戦場では98パーセントの兵士達が心に傷を負う。残りの2パーセントは人を殺すという点においてなんらの罪悪感も抱かない」というくだりもすごかったですが。
そしてなにより、東京大空襲、ドレスデン爆撃などの都市に対する無差別爆撃が及ぼした効果を研究した結果、「さほどの効果は得られない」ということが判明したのだ。というくだりはなんというか(結局は被害を受けた国民を奮い立たせる結果となり、継戦能力にさほどの影響をおよぼさない)・・・東京大空襲から60年。あれを戦争犯罪であるという意見もある中、無常さを感じさせます。であるからこそ、ベトナム戦以降、米軍があれほどピンポイント爆撃に収斂していくのもわかります。都市部において、「ピンポイント」で攻撃するという恐怖をあじあわせることも主眼の一つなのですから。
第二次大戦では20%以下の発砲率も、その後の研究と訓練手法の変化に伴い朝鮮戦争で55%。ベトナム戦争で90%になっていきますが、結局その訓練手法は、手っ取り早く言えば「フルメタル・ジャケット」でのハートマン軍曹がしてみせたような強ストレス下での訓練手法だったりする。つまり、感覚を鈍らせるのだ。
だが、ベトナム戦争ではそのような訓練を施した兵士に対して、なんらのケアもすることなくアメリカ本国へ戻してしまったためにPTSDが続発。アメリカが長く深い傷跡を背負う羽目になってしまったという(無論、アメリカ国内国民の行為も悪かったのだが)
それを防ぐためには、兵士達を隔離し、時間をかけて緊張感から解き放たねばならないという。おりしも数ヶ月前、陸上自衛隊のイラク派遣部隊が日本に戻る際に、部隊単位で移動し、武装を解き、アルコールを与えて、それぞれの感じたことなどを思い思いフリーに語らせているシーンがNHKで流れていたが、ああ、なるほどと合点がいった。
戦地、もしくは高ストレス環境下から戻ってきた軍兵士に対して、後方の国民はいかなる形で彼らを向かえればいいのか、それも示唆に富む話が数多く書かれていたりする。
そして、現在、アメリカを被うメディアによる殺人に対する障壁低下(つまり、広範囲で軍での訓練が行われている。そこでは殺人を躊躇うことなく行うヒーローの存在があったりすると作者は指摘する)から、表現の自由にある程度の制限をつけるべきだと書いていますが・・・ああ、なるほどそれは一理あるかもしれません。
軍隊に興味があるなら、読んでおいて損はありませんぜ、いや、本当。