日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か (角川選書) | |
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最近、著作権とデジタルデバイスについての問題が喧しい。Youtube、ニコニコ動画についてもそう。著作権団体は権利を求め、デバイスを作るもの、使うものはどこまでそれが広がるのか危惧している。
というわけで手にとって見たのがこの本。目から鱗の話とかがあって面白かった。
全文を事細かに引用すると始まらないので要点だけ。
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・人類文化に見る模倣と創造は成長に欠かせないが、今はオリジナリティを過度に追及しているきらいがある。
・そもそもオリジナリティとはどういう観点か?
観測できない主観的な側面。
日本文化も西洋絵画もある時期までは基本的には真似たり、再創していた。
果たして、オリジナリティ=独創という観点が生まれ、持てはやされるようになったのはどういう理由か?
・著作権成立までの動き
イギリス法、フランス法、二つの著作物に対するアプローチ
日本での著作権法成立の動き
・日本文化における再創主義と海外に波及する再創。古典詩歌から、コンピューターのハッカー文化にみる再創思想、そしてアニメ、AMV…つまりMAD(!)まで。
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基本的に著作権法に待つわる話が自分にとって目から鱗でしたね。
イギリス的コピーライト法(出版業者の海賊版防止を目的とした時限が限られた法…これが今の日本の著作権に係る50年という問題)。
フランス的著作権(一部の作家が言っている、作り手に対する永続的な権利の確立)
という二つの考えは元々別のシロモノであったこと(日本は色々な理由から混ぜた結果となったこと)、結局はそれぞれ権益の確保という点から発生している点。
詰まるところ、法とは権益の確保という側面でしかない。という自明のことを過去に遡って説明しているわけです。
一部の著作権団体が言っているように著作権に対する負担は「文化の保護」なんてのは、単なる出版、あるいは音楽業界の既得権保護のための口当たりのいい建前だということが如実にわかるわけです。
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とはいうものの、昨今の著作権をめぐる問題とは当時の出版物に対する海賊版と同じよような側面があります。本は昔から海賊版問題に悩まされていましたが、最近は音楽、映像もその範囲になってきました。技術の発展が劣化のない複製技術を可能としたためです。自分の記憶が確かなら、音楽の複製問題に係る著作権云々が喧しくなってきたのはDATテープ、つまりデジタルによる劣化のないコピー技術が登場してからのはずです。
一方で技術の革新は、作り手-産業-貰い手という構造を微妙に変化させようとしているという点もあります。従来の出版業界、音楽会社、取次ぎ、という様々な中間に存在していた業界をバイパスして、作り手→貰い手という関係を作り出しやすくしている一面があります。
結局のところ、既得権益の保護である。という点から言えば、今の過剰な著作権保護に対してどう接していけばいいのでしょう?
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著作権問題に纏わる話はここまでにしておいて、興味深かったのは日本文化における再創主義、すなわち元本をもとにアレコレと手を加えていく連歌や本歌取りなどの日本詩の手法説明ですね。色々説明できないので、どういうものかというと…
連歌(wikipedia)
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連歌(れんが)は日本の伝統的詩形のひとつで、複数の人間で和歌の上句と下句を繋げていくものである。
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本歌取り (はてな)
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すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。
(中略)
オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。
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つまり、先人の歌をたくみに取り込んでアレコレと改変していくわけですよ…と読んでいたら、これどこのニコマスMADの文法よwというくだりがあって笑ってしまいました。例えば本歌どりの作法の場合…
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①本歌どりをする際は歌の半分までとする。
②上句の七五や下句の七七をそのまま使わない。
③本歌からどの部分をもってきたかを判りやすくする。
…
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見たいな決まりがあるようで。これってニコマスにも似たようなのがありますね。
①グレーゾーンで暗黙知的ですけど、アイマスオリジナル曲のフル引用禁止(ただしRimixみたいな場合は除く)。
②イベントでもありましたがアイマスの曲「まっすぐ」に使われているダンスシーンだけを使ってMADを作成する…。見たいな「しばり」ですね。
元々の歌に尊重しつつも微妙な改変を加え、違う価値観、感じ方を提示する。それを可能にするのは、その場の共同性…つまり、元となる歌を知らないとどう何をイジって、何が面白くさせているのかわからないじゃないですか…であると。
これってニコマスネタですけど、春香が黒いのか白いのか。元々無個性と呼ばれた平均的な設定付けの春香に、「実は腹黒なんじゃないの」「閣下ですね、わかります」「いいや、実は白いんですよ。純粋なんですよ」「のワの」とか勝手に曲を組み合わせてアレコレと言い合っているのに近いことを昔の人達もやっていたっていうわわけです。
これ、笑わなくてどうするよ、とw
皮肉なことに明治の後、正岡子規などは「発句こそ文学。連歌などは文化ではない」みたいなことを言い張る論壇が出てきますが、これもまた「MADなんて文化じゃない」に似て苦笑してしまいした。真似てきた上での個性なんですが、過去の連続性ではなく今あることを独創として捉えて、これをありがたがる…まぁ、確かにありますよね。それは悪いことではないのですが、それが正だといわれても、無から何かがいきなり生まれるわけではないのですから…。
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そして、コンピュータ文化。まぁもともとハッカーって一風変わっているし、わりとヒッピー文化とか遅れて取り込んでいるところもあるから、東洋風味が強いのは確かだと思います。
ここの章はちょっとこじつけくさいかなぁとは思いましたけど、確かにコンピューター/プログラムの世界で習得する手っ取り早い方法は、先に作ったプログラムを自分でも入力して、エラーが出れば直して、それを改良していく…というやり方で学んでいったほうがいい場合もあります。これも真似る、という側面ですね。
そして、オープンソースの考え方もそこには出てくる。オープンソース・コミュニティの有名なリポート「伽藍とバザール」のある種の見方は意表をつかれました。
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またアニメにも当然触れられていて、後半、アメリカでのAMV、つまり日本アニメ作品を編集して、海外の音楽と組み合わせる作品にも言及されています…。
いや、正直言ってその本の著者の幅の広さにはびっくりしましたよ。よもやMAD文化にまで言及するなんて…。ちなみにこの本、平成14年刊行ですよ。今のニコニコ動画とかYouTubeを見たらどう書くんだろう?
さして最後にはそもそも文化とは他の文化からの影響を受ける場合があり、どれがオリジナリティだとか言ってもせんがないことを著者が述べていますが、ああなるほどね。と思いますね。
というわけで、色々な示唆に富む本。著作権とネット、デジタル問題について興味がある方は読んでみてソンはなし。色々と勉強になりましたです。オススメです。
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