gigiさんのblogエントリから。コードギアス関係で興味深いエントリが多いので楽しみにしているのだけど、今回はふむ、と考えてみたのでメモ。
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"戦術と戦略の違いを見せてやる"
ルルーシュの、お決まりの決め台詞のひとつ。このセリフを聞くたびに「いや、ちょっとマテ、君のはそれは戦略じゃなくて戦術なんじゃ...?」と突っ込まずにいられない人は少なくないのではないでしょうか。私も、そのひとりです(笑)。ところで、戦術と戦略の違いって、改めて考えると結構難しいんですよね。
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はい、自分もです(笑)。
ギアス世界のパワーバランスとかはある程度までしか明らかになっていないので、どこまで深くは語れるものかというのもあるのですが邪推まじりに書いて見ました。
物語の都合上も多々ありますが、基本的にルルーシュの言っている戦略って作戦級の戦略なんですよね。
つまるところ、仕込みのレベルがその戦場周辺にあるか?というわけです。
ギアスで多い隠喩で考えると、チェス盤なんですよね。ルルーシュの思考パターンというか思考できる領域は。ただ人よりその領域がほんのわずか広いという形かな。
ルルーシュが戦略が云々言うたびにスザクなどパワーバランスを崩す存在に状況をひっくり返されたりするわけで、そういうイレギュラー因子に覆されない状況を作り出すのが戦略だろ?と言いたくなりますね、自分は。
まぁ、そもそも戦略家を気取るならあまり最前線にでちゃいかんよ。という気もしますがね(笑)
一応カリスマとしての存在も使っていると解釈しておこう、うん。
戦略っていうのもレベルというか高次元による差があるので、Wikipediaの欄を引用しながら書くと、
国家理念(例えば人権主義、天皇制) > 国家方針 (非戦、平和憲法) > 国家戦略 (日米安保条約・国連/多国籍) > 軍事戦略(フロム・ザ・シー など) > 作戦戦略(作戦計画5055・・・朝鮮半島有事の日米作戦計画案、シェリーフェン・プラン) > 戦術(エア・ランド・バトルなど)
ってなカンジなのかな。
()内は思いつくまま描いてみました。フロム・ザ・シーはアメリカ海軍のドクトリンで、軍事戦略というとドクトリン的なものが上げられるかと。
作戦戦略は陸軍では複数の軍、軍団が絡むレベルの計画ですね。軍団とは複数師団によって構成されます。軍団が複数になると軍、日本の場合軍団が無くて軍ですね、今の自衛隊編成だと方面隊が相当します。軍団が複数になると軍集団になります。
総じて戦略では局所局所では負けても、総じて勝つ。あるいはそもそも局所で負けないように強力な相手を無効化する手を打つ(間接アプローチ)。色々手があるわけです。
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コードギアスのW主人公であるスザクとルルーシュはどちらも長期的な戦略なく、目の前の状況に翻弄されて生きている。それは、若さゆえでもあるし、その葛藤が複雑なドラマツルギーを形成してこの物語を魅力的にしているのは事実です。
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gigiさんが指摘しているように、ギアスR2の二人の主人公、ルルーシュとスザクは物語を動かす上で非常に葛藤する要因を作っているわけです。
まぁ、ルルーシュが戦略家なのか。というとそうではないだろう。っていう気もしますが、彼の若さゆえにではなくて、彼の内面にあるミッション(目標)が複数あってプライオリティ(優先順位)が違うせいじゃないかと思うんですよね。
ルルーシュにとって皇帝を倒すチャンスに黒の騎士団としての目的を失念してしまうのは、ルルーシュにとって原初でかつ最終目的がナナリーの安寧であり(叶えられない日常の回帰もあったが)、母の死の真実を明かす→皇帝が仇?、という目的が彼の内部でより上位にあるためなんだと思います。
つまるところ、ルルーシュにとって黒の騎士団の目的、日本(イレブン)の独立自治→ブリタニアの一極集中打破という最終目的は、つまるところ彼の目的を具現化するための手段でしかないわけです。
ナナリーの安定した生活のためにはブリタニアの手が及ばないことが望ましい→ブリタニアの権勢がエリア11に届かないことが望ましい→日本の独立という思考回路なわけで。
さらにそれに色々な要因が重なるわけですよね。
R2で整理してみようかな。→は現時点での結果ですが。
- ナナリーの保護と安寧 →今の状態で実は安定してる?
- 母の殺害されるに至る真相を暴く →まだ未確定。これから?
- CCの願いの成就 →予想外の展開
- 周囲の人々との日常の確保 →シャーリー死去により無理目
- 上の目標に付随するのとしてカレンの奪還 →どうなる?
- (ギアスという不確定要因消去のために教団の殲滅) →一応達成
- ブリタニアからの影響離脱→エリア11(日本)の独立戦争化
というルルーシュの内面には数多くある目的(ミッション)があるわけです。上のほうがより上位なんじゃないかと思いますけど。
まぁ優先順位(プライオリティ)を定めて取り掛かるんですけど、黒の騎士団のメンバーが思い描いている最終目的に対しての齟齬があるわけですよ。
(ここらへん、これから描かれる羽目になるんじゃないかと思いますが。ディートハルトが鍵かな?)
結局のところ、ルルーシュは目的を積み重ねてすべてをクリアできるための大目標を定めるぐらいが今の力の限界なんですよね。戦略家というより作戦家というレベルだと思いますね。それでもすごい話ではあるんですが。
またシュナイゼルやシンクーが見切ったように、彼の本質は基本的にいくら目的のために手段は選ばないと嘯いていても結局は自らのルールを逸脱は出来ない甘い本質がある。
本当の戦略家なら暴虐非道の限りを尽くして目的達成のために手段は選ばないでしょう。チャーチルが暗号解読しつつも自国に対する都市爆撃を看過したように。
ルルーシュがゼロとしてブリタニア一極支配のあと、世界に対してどのようなグランドデザインを描いているかはわかりません。次の予告を見るにおそらく他のエリアの自治による分割統治かなとは思いますが、それで問題は解決するの? 結局分裂じゃないの。という気もしますが、ショートスパンとして結局はナナリーの生活を守るためという理由のもとに積み上げた世界への視野でしかないわけです。
スザクの場合はもっとわかりやすくて、エリア11・イレブン=旧日本(人)の復権が目的なわけで、そこに世界全域をどうこうしようというグランドデザインはないわけです(今はまだ)。
まぁ、わかりやすく言えば、彼が見ている世界はイレブン領域内だけ、というわけです。
以後、彼がエリア11以外にも抑圧された人々がいる→ブリタニアによる支配体制の緩やかな解放。という道筋を選ぶかはわかりません。
あと、さらに私心としてルルーシュに対するユーフェミアの遺恨もあるんですけど、これってシャーリーが彼に向けて言った最後の言葉があとあと効いてくるかな? とは思いますが。
これがシュナイゼル、皇帝になると今の地位が覇権国家の指導者、指揮官ということもあって、見ている世界はブリタニア=全国家レベル→地球レベルなわけです。皇帝になるとギアスによるさらなる世界の見え方もある。
そういうことでマクロに世界を捉えようとしているのは無論のことです。つまり見る世界、風景が違うわけです。行動もそれを許せるレベルにあるので戦略的レベルになるのは当然のことです。
他の皇帝の子息達の能力がどれだけあるのかはわかりませんけども、すくなくともシュナイゼルは指揮官でありながら、ブリタニアを含む世界のあり方も描いてるシーンがありますね。それこそが戦略家の資質でもあるわけですが。
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話が飛んで今でもカエサルが激賞されるのは、国家を指導する立場でもなかったのに(あくまで権力の強いとはいえ地方軍司令官ですし)、今後のローマ世界のグランドデザインを描いてみせたことでしょうね。彼自身、人間的にも魅力があったし軍を扱わせても能力は一品でした。民衆をガリア戦記などで刺激を与える能力もあった。しかしなによりも支配領域が広がりつつあったローマを再構築するための手をうったわけです。
まぁ、いつ、どの段階で彼が自分の住む世界に対して新たなグランドデザインを引いたのかはわかりませんが・・・どこの段階で彼は世界を認識して新たな絵を描いたのだろうか。というと非常に興味があるわけです。
彼が道の半ばで倒れたあと、後を継いだアウグストゥスが作り出したローマ帝国への道が、本当にカエサルが描いていた世界なのかわかりませんしね。道筋は立てたものの、どう舗装するかで、カエサルとアウグストゥスに違いが生じたかもしれません。
しかし、カエサルが後継者として彼とアグリッパを抜擢したのもすごい話ではあるのですが。
話が飛び飛びになってしまいましたけど、最後に戦略と戦術の違いについて。
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いまや古典的作品となった「銀河英雄伝説」に戦略と戦術の違いについて色々と語られてますね。原書をあたってないのですが「登る山を決めるのが戦略、ルートを確定するのが戦術」というのがあったような気もします。
自分が戦略と戦術の違いってなに?といわれたら、「見ている世界の差」あるいは「世界の見え方の差」だと思いますね。
会社でも社長、役員、部長、以下社員の間で見るべき世界は違うわけです。しかし、より上位のレベルから世界を見渡せば、違う見え方もあるわけです。財務などの金の動きだけではなく、社会の流れも見極めて取るべき手をうつ。自分に対してどう付加価値をつけるか。などなど。
見る世界のレベルを変えられることが戦略レベルの考え方の基礎になるでしょうね。
良く、部長としては立派だったけど役職付いてから駄目になったなー、とか社長になったら駄目だったなー。というのがわりと小さい会社でありがちなんですけど、これって見方の変化という教育を受ける機会とかないからかな、とも思います。大企業だとちゃんと教育コースがありますし(どれだけ有効かはわかりませんが)、自衛隊ですと幕僚指揮課程(CGS)があるわけですがね。
そしてもう一つ、「ルールを利用するのが戦術、ルールを作り出すのが戦略」と言うかもしれません。
よくスポーツなどでありがちですが、他国が突出して勝利するとルールを変更されるわけです。日本の場合、「これだから外国は卑怯だ」ということがわりと多いのですが、ルールも人が定めしシロモノです。未来永劫普遍なものではないわけです。
勝てないならば、その場、枠組み(ルール)をひっくり返すこともゲームの範疇なわけです。まぁ、ここまでいくと話がややこしくなるんですけどね。
ギアスR2で言えば、皇帝が見事にVVのギアスを取り込んで不死の存在となったり、新しいルールを生み出そうとしているわけです。シュナイゼルも同様に物騒なシロモノを作り出そうとしている。新しいルールをそこに描こうとしているわけですね。
しかしいまだルルーシュにはそこまで至らない。彼はまだ常人より目が良いにしても、彼の目が届く範囲でしか考えられていない。それはスザクにとってもそうなのですが。
というわけで、戦略と戦術について。本当にルルーシュって戦略家?っていうネタで描いてみました。
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