@Title@は自分の好きな小説家、森雅裕氏の著作のタイトルから。
ネタとしては、23日の話の続きなので、まず興味がある方はそちらを読んでいただくとして。
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あなたの本当の愛情度
●●●あなたの愛情度は、やや低め。自分では真剣な愛情を欲していると思っていますが、本当に求めているのは、束縛されない自由な愛情。たとえ恋人でも自分の自由な時間を奪われるのはとても苦痛。自分の時間や友人との時間を妨げない愛情が理想だと考えています。
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これを読んで、ははぁ。と思ったんだけど自由な愛情かぁ。そういうものがあるものか。と思ってしまったのは本当のところ。自分の時間、友人の時間を妨げないような、言わば理想的な相手がいたとして、じゃあ彼女との時間も同様にあったとするだろう。彼女との時間が必要だということは、相手にとってもそういうことはありえるわけで、じゃあそれって結局は「自分が必要としてほしいときは相手にいてほしいけど、相手が必要としていても自分を拘束しないでほしい」ってことなのかな。じゃあ単なる我侭だよなぁ。と思うことが実際にあったんだけど。
以前、あるサイトで30代独身女性の結婚しない理由の一つとして「(今まで築いたキャリアなどの)生活レベルを崩したくない」というのがあるという話があったんだけど、えーと出典が明らかにならないなぁ。まぁ、恋愛まではするけれど結婚はしない。という一つの理由が前述のものだったりした。でもそれって、オタクの基本原則である「好きなモノに対するプライオリティ>他者との恋愛についてのプライオリティ」と似てるよなぁ。と思ってみたり。無論、これって局所的な比較だから、あまりアテにはしないでください。実際、恋愛もそうだし、結婚についても女性が失うものは男性が考えるよりもずっと大きい、と思うので、「失いたくない」と思うのは至極当然のことなのだとは思う。
自由な愛情とはなんだろう。結局は奪う、奪われると考えてしまうからそんなありもしない我侭なものを求めるのだろうか、と以前考えたことがある。結局は相手の時間も必要とするのが愛情であり、時間や何かを共有していることには違いがないのだ。ただ、何かの経済行動とは違って、そこにフローを求めてはいけないんじゃないかと最近は思う。フローがあるのだとすれば、それは個人的充足感であり、結局のところ物理的な面で充足感を得ようとすることはできない、のではないかと思いはじめている。ああ、そうだ、無償の愛だ、アガペーだよ、やっぱり山田玲司は偉大だ。と行き着くのだが、それはそれ(w 結局は捧げなければ始まらないのかなぁと最近は思うところ大だったりするのだ。
何かの代償を求めたりすると途端に歯車は狂いだす。自分としても、自分自身のそういう面、相手のそういう面を見たりすると途端に覚めてしまうことがあるし。多分これが自分の中にある「自由な愛情」の形なんだろうか、とは思う。
(まとまってないし、やっぱり我侭じゃん、それって)
(まぁ、そういいなさんな。本人もまだ考えあぐねてるんだからサ。つーか、やっぱり山田玲司最高、マンセー!だと言いたかったらしいよ)
ちょっと終わりは上遠野風にアレンジしてみました(苦笑)
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