2006年8月14日月曜日

世界の傑作機 (No.117) 三菱F-1

世界の傑作機 (No.117)世界の傑作機 (No.117)

文林堂 2006-07
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退役間近ということもあって、T-2といい連続出版。いやね、興味深い。

うーん、日本の航空機産業にとってWW2以降の空白期がどれだけ足枷になっているか、という話がここでも出てくる。それだけ技術の空白と流出は大きかったのだろうな、と。技術者達は食べるためにある者は自動車産業、鉄道などに転出していったというし、エンジン作成のノウハウもないのも痛いだろうなぁ。TRDI(防衛技術研究本部)は頑張っているようだけど。

冒頭、F-1(T-2)開発に携わった、あるいは周辺にいる技術者は、与えられた情況の中でベストを尽くしたという言外の意味が出てくるが、なるほどそうだろう。F-1は正しくあの日本の状況下でよく作られた「習作」な機体なのだ。ただ、いみじくも本の後半で実際に運用に当たった元パイロット達が書き残しているように運用面での問題や(致し方ないとはいえ)エンジン・パワーの無さに文句を書き連ねるのもよくわかる。

あの当時のエンジニアたちには、T-う2設計というチャンス(F-104運用のための訓練機が必要というシチュエーション)を最大限に生かして、技術的に冒険のない出来合いのエンジンと無理のない機体設計を行った。訓練機なのでそれはベターなやり方だった。ついでにその機体安定性を生かして、ASM(対艦ミサイル)のキャリアとして任務遂行能力も割り当てた。それがF-1なわけだ。いみじくも語っているように正当な「雷撃機」としての出番というわけだ・・・。

で、運用するサイドとしてみれば、このご時世に「雷撃機」みたいな使い方なんてそうそうできるわけもないし、ある機体は多任務用途で使いたいのが本音。しょうもない理由で爆撃機能を外されたF-4(のちにF-4改で付与されるが)が使えればまだしても、F-1だってイロイロな任務に使いたい。ところが、訓練機としては妥当だったエンジンパワーがここではイキナリ非力さをあらわす。そりゃそうだ。爆装したり、追加装備のせているんだもの。モア・パワー、モア・パワーと叫ぶ気持ちもよくわかる。

いみじくも運用サイドが呟いているように「あと少しのパワーアップを」と書いているように、F-1も運用途上でエンジン換装か何かの処理が出来ればよかったのだが、如何せん日本ではそれが難しい。

日本開発のシロモノは何かにつれ常に「その場での最大回答」を目指して余力を殺いでしまう。ディティールに懲りすぎるために、それが一体何のために使われて「いく」のかを考慮しない面がある。この世で傑作機たらしめている機体は、飛行機だろうが戦車だろうが自動車だろうが変わらない、いつでもそこに「発展余裕」を見込んでいるか否かがキモだ。もしくは大改造についていくだけの素性の良さが必要だ。
ハードウェアのパフォーマンスを引き出すのは常に余裕であり、その余裕が時代変化に伴う運用面の変化についていくために必要になっていく。

結果的にF-1での「習作」経験は、頓挫した国産FS-X計画のためにでその経験を見ることはなくなった。
ただ、どうだろうか、F-2のあまりの七転八倒ぶりを見ていると、国産FS-Xも、その後のステルス機能付与などの嵐についていけなかい中途半端な機体になっていたかもしれない。と書いたらいささか悲観しがちだろうか。
何であれ、技術作品には失敗はつきものだ。それが判った段階で早々に改修作業に取り掛かればまだマシなのだが、ここでも予算不足が顔を出すしな。

そういうわけで、読むとやっぱり複雑な気分にさせてくれるなぁ、日本の航空機産業の話って・・・(苦笑)
というわけで興味深かったの別エントリとして。


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