彼をはじめてみたのは何時だろうか。たしかU-17でFW登録されていて、財前と一緒に組んでいたときだと思う。正直、あのときの少年が日本代表の中核になるとは思えなかった。
ベルマーレ平塚に入団して、注目の新人として頭角を現し、飛び級のような形でアトランタ大会U-23に参加。あのときは、U-23世代が自分と同世代だけあって、一世代飛び越えて呼ばれたのもびっくりしたが。そのあと期待されていた前園が不振に陥る一方で加茂監督率いる日本代表に抜擢され、名波、山口と中盤を形成していって、あの過酷なジェットコースターのような展開の連続だったフランスW杯予選を戦いぬけていった。そしてジョホールバルの夜となるわけだ。
フランスW杯後は、ペルージャへ移籍。正直成功したといえるのはペルージャ時代と、パルマからマッツオーネ老のボローニャにレンタル移籍したていたころとしか言い難い。彼が輝いていたのは否応なくカウンター・サッカーを志向せざるをえなかったペルージャ、そして彼の特性を彼以外にもっとも知るマッツオーネ老でしかなかったと思う。
正直、それ以外のローマ、パルマなどのチーム時代はカップ戦要員だったりしたわけで成功とはいいづらい。
日本代表としては押しも押されぬ中盤の要ではあったが、どことなく超然としていたのは言うまでもない。
トルシェの頃は訳のわからないキャプテン騒動に巻き込まれていたせいか、中田がついぞキャプテンマークをはめることになく、今大会に挑んでしまった。精神的な支柱とプレイイングの支柱が二つあることで成功するケースもあるし、失敗するケースもある。精神的な支柱であった宮本、プレイの中での支柱である中田という今回のケースは成功しているとは言い難ったのではないだろうか。
彼がチーム内で人望がなかったか、もしくは寄り付けない孤高の扱いを受けていたかはあまり興味がないが、たとえばオーストラリア戦で1-1となった時点で、どんなプレイを選択するべきかを意識統一できなかった点、そしてチームを鼓舞すべきところであまり上手くは出来ていなかったと思われる点、最後に試合前に彼が言っていたRUN! RUN! RUN! というテーマを彼以外は誰も実践できていなかった点を考えると、どうもチームの中核として成立していなかったのではないかと思う。
彼がチームの中核足り得えなかったのは、自らを強くあらんとするためにパーソナリティを強固にするほかなく、その強固さが正しい方向へあまり向いていなかったんではないだろうか。
彼は基本的には精神的な意味でのアウトサイダーではないかと思う。もう少し、回りの"大人"たちが彼がまだ自己を確立する前にちゃんと正しく導けたのなら・・・あるいは代表チームに中田を理解して、チーム内の大半に人望があるかリードできる兄貴分(たとえば2002年の中山、1998年の名波、山口、あるいはカズのような)がいれば違っていたかもしれない。
無論、中田が自らの本能や欲望を押さえ込んで、自らキャプテンシーがあるかのように振舞うことも彼ならば出来たかもしれない。これが個人的美学や規範と、周囲の求めみたいなものとの兼ね合いの単純な二元論になるとは思えないが、いささかなりとて相反しており、彼は彼であるがために彼であることを演じなければいけなかったとしたら、これはなんと悲しいことだろうか。イチローはWBCの苦闘の中で孤高の人物というイメージを覆し、「チームの有り難味を知った」状況を味わい、周囲に溶け込んでいったと見えるが、中田にはついぞそれが訪れることはなかった。彼を心底理解してくれるパーソナリティをもつ人物が(ドイツ大会代表チームに)いなかったせいだろうか?
それでも中田という存在がここ十年間における日本サッカー界の傑物であったことは言うまでもなく、あとから観れば90年代前半を駆け抜けたカズ、その後を受けた中田という形になるのはいうまでもないんじゃないかと思う。
お疲れ様。中田英寿。
思い出すのは、ペルージャの真っ赤なユニに身をつつんで、相手DFのハードタックルをかいくぐり、あるいは蹴散らして、あの独特な背筋をピンと伸ばしたフォームでペトラッキ、ラパイッチらに鋭いパスを送り込み、自分はシュートの狙える位置まで突進していった姿だ。あのとき、まさしく希望であり、未来であり、栄光だったのだ。
最後に彼のピッチの盟友でもあった偉大なる10番、名波の言葉は自分の思いと一緒なので彼の言葉を引用して終わりにしたい(ブラジル戦後のコメント。彼はこの時点で中田のW杯後の引退を知っていたのではないかと思う)。
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「重荷をずっと背負ってくれたヒデ」
ヒデはずっと日本サッカーを引っ張って、戦ってきた。昨日、ああしてピッチに倒れる姿を見て、代表に初めて入った年齢(20歳)から、年齢以上の重荷をずっと背負ってここまで走ってきたんだとあらためて感じた。絶対に、人に弱味は見せなかったし、メディアに話をすることもなかった。けれども、彼がどれほどの功績を残したのか、近くで見た若い選手たちは忘れちゃいけない。センターサークルに一人で座っていたヒデのところに、俺は行きたかった。行って、ヒデ、もう一度W杯をやってくれよ、と声を掛けたかった。彼に失礼だと思うが、本当によくやった、と言いたい。
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http://sports.nifty.com/saposta/cs/japanreport/category/3/1.htm#1
名波の言葉は自分も一緒だ。そして時代は終わり、新たな選手たちの時代が始まる。
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