2006年7月14日金曜日

プリンシプルのない日本 / 白洲 次郎

プリンシプルのない日本
プリンシプルのない日本白洲 次郎

おすすめ平均
stars人柄が偲ばれる本
starsことばに出して実行する凄さ

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白洲次郎といえば最近何かと人気のある人物です。
自分が知ったのはいつのことだっただろうか。えーっと、吉田茂のサンフランシスコ条約調印時、そのときに吉田茂に随員していたメンバーの中にいた彼が、外務省の書いた原稿に手を入れたという話をどこかで読んでからでしょう。その後、十年以上前のTV番組で彼のことを取り上げていたような気もします。

彼を知る麻生太郎外務大臣は、彼のことが持てはやされるのは英雄願望があるせいだ。と言っていますが、あながちハズレではないでしょう。

自分も興味があって本人の著書を読んでみましたが・・・これは文芸春秋に掲載された終戦後の世情についての憤懣やるかたなし、といったどちらかというと怒りの比重がおおい時事ネタ中心の文章であり、ちょっと読むのが苦痛ではありましたね。言葉の端々に彼が終生つぶやいていたという「プリンシプル」・・・原理原則、あるいは筋を立てる、というけれど、自分がいうなら自らに化した"規範"といえるかな?・・・が透けて見えます。

独立独歩、国の力をアテにしない。弱者に対して強く出ず、道理を尊び、いたずらに権力や権利をかさにきない。まぁそんなところですか。ああ、彼のことを単純に言えば、上流階級(ジェントリ)の紳士なのですよ。日本には珍しいタイプの。

彼は若い頃は粗忽もの、英国留学時代ではいささか放蕩気味の血気あふれる青年紳士時代を送り、そこで上流階級の何たるかを仕込まれたのかもしれませんね。まぁ、20そこいらの男がベントレィとかブガッティ乗り回すんだから何をかや。という気もしますが。
その後、家業の破産で職を転々として(まぁ、あぶれないところが流石ですが)、吉田茂の既知を得るわけですが、そこからGHQとのやりとりなどは色々な本では語られているでしょう。上の本では自分の功績はさも無いように取り扱っているわけですが、実際は終戦後、憲法翻訳に携わったりと中々重要な局面に立ち会っていたりしているわけです。

まぁ、こういう人もいましたよ。ということを知るにはいい本です。彼の実際はいささか付き合いづらく、馬が合うのは少なかったかもしれませんが、友誼に厚い(戦災の友人を助けて自宅に住まわせていたりしていますし)愉快な人物だったと思います。英雄などとして取り扱うのではなく、まさしく先達の生き様として望んでもいい生き方がそこにはあるのでしょう。

いささか筆がとっちらかっていますが、読了記録として。


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