とか何とか言ったイタリアの映画があったような・・・。
ともかく、イタリア人です。
ミリオタからすれば、
「一歩前進、二歩後退」
「イタリア人の勇気は組織の大きさに反比例する」
「日本の水交社(海軍軍人の寄合所みたいなもんです)にイタリア海軍士官が来るとナイフやフォーク、その他もろもろ物がよくなくなるので、その日はかならず質が悪いものを置いた」
「WW2のアフリカ戦線で大量の水を要求したが、それはパスタを煮るためだった」
「何気にWW1、WW2ともに戦勝国っていうのがなんというかアレだ」
いかなんとか、トホホとかヘタレの代名詞(いや、個人では勇敢な人はいるんですが)だったりするのですが、
イタリア人の作る車はメカニカルな点では、「おいおい」といわれそうですが、時々尖がったり、下駄代わりの車を作らせると一品だったりします。代名詞はフェラーリであったりしますが、下駄がわりと言えばフィアット500でしょう。
自分はフィアット500やパンダ、アウトビアンキA112やY10などイタリアの小型車大好き!なので、語ろうと思えばあれこれと語ってしまいそうですが、本題はそこではなくて。
「フィアット500保護法案」がイタリアが可決しそうな勢いだそうで。つまり、新車から25年以上が経過した排気量1l以下の車は自動車税の免除および車検を2年から4年に、市内中心部の自動車乗り入れ禁止区域の乗り入れ許可つー、なんというか旧車ファンにはたまらない法案が提出されて、審議されているとのこと。大体、ターゲットはもうフィアット500系列しかないだろう。という法案なのだから。案の定「フィアット500(チンクェチェント)保護法案」という呼び名で呼ばれているらしい。
ちょっと複雑ではあるが、フィアット500だからって色々問題があって、例えば排気ガス規制の問題だってある(一応排気量が排気量で問題にならないけど、排気ガス問題はあるので)。
だけれど、イタリア人のこういう妙なところで発揮する人生に対する余裕みたいなものは大好きだ。
新車じゃなくたって、古い車だっていいものはいい。フィアット500は生憎と乗ったことはないが、A112、Y10はある。
今にして思えば貧乏アルバイトのころ、A112、Y10共に買うチャンスはあったが、逃してしまった。買ったところで維持できないと思っていてのことだ。
新車が買えるぐらいの経済的余力が出てきたら、さすがに前述の車でいいコンディションのものは値が高く、旧型パンダはワンメイク・レースのために質のいいやつが払底していて、結局、気に入った日本車へと転がってしまった。あの頃買っていれば金で苦労を買ったような羽目になってしまったとは今でも思うが、きっと楽しかったに違いない。いや、辛い思い出もいつかは楽しさに書き直されていくようなものかもしれないけれど。
その新車もこの間の事故で全損、廃車扱いになってしまった。冬を前にして、同じ型の色違いがやってくる。そして、いつかもう一度イタリアの小型車を買おう。そう心に決めている。
冒頭の言葉、実は後に続く言葉があるのだ。
「人生は歯磨き粉の入ったチューヴのようなものだ。搾り出さなきゃ、意味がない」かくありたいですな(w
(追記)と思ったら昼食時、買い物に行ったスーパーの駐車場でラブリーなチンクェチェントを発見。いいなぁ、今でも買えるよな、きっと。
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