うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 高橋留美子 押井守 平野文 東宝 2002-09-21 売り上げランキング : 421 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「ウルトラ・ヴァイオレット」でOTZとなったマインドを回復すべく、うん十年ぶりにDVDで鑑賞。まぁ、ハルヒを観る&読むなら観ておいて損はないしな!
えーっと、84年の作品だから自分が…中学上がるか上がらないかか(w
流石にあの頃は劇場版見るほどアニオタではなく、ガンダムに走ってたからなぁ。ええっと、見たのはそれから数年たって、のはず。TVだったか、ビデオだったかは記憶にないが。
冒頭の深夜にも続く学園祭準備。永遠に終わらないハレの日々。どうやって搬入したか不明の40tの戦車レオパルド(1)のある喫茶第三帝国(ハルヒの第12話、ライブアライブでのネタにつながる)。深夜の給湯室(家庭科室?)での女性陣の、ちょっとだけ腹の探りあいが入り混じったやり取り。
違和感に気が付いた人が消え、そしてラム、あたる、メガネらにもその状況の異常性に気が付く……。
20年前のアニメである以上、今のクォリティで見れば稚拙なところ、雑なところは目につくだろう。正直自分も感じてはいたのだけれど、その異常性が徐々に明らかになる演出は流石に才気走っていた押井守監督らしく、今見ても面白い。
(Zガンダム劇場版でも思ったが、アニメの絵的なクォリティとしてみれば今のほうが数段レベルは上だが、構図や人を動かすなどの取り方については過去のほうが優れている場合が多い。最近のアニメはよく口パクのシーンすら端折る傾向(ハルヒにもその傾向はある)があるのだが、当時はそういう手法をさほどとっていないことがわかる。ちゃんとキャラはしゃべるし、モノローグであっても画面はバンクであっても動く。
…ラムやあたる以外の者達が街から消えて、サバイバル突入。
廃墟と化した街を走る車の上で、ビューティフル・ドリーマーというとアレといわれる有名な台詞をメガネが言う。
「嗚呼…選ばれし者の恍惚と不安、ともに我にあり!!」(ヴェルレーヌの詩から。太宰治が引用していた)。
観ながら、まぁ確かにおお、言いたくはなるわな、そういうシチュエーションなら! などと笑っていたり。
あと、面白い点といえば押井守らしい角材もってシュプレヒコール挙げてそうな世代のような台詞回しや徹底的なインサートされる特撮キャラなど随所にある。
この物語の仕掛けと結末については語ることはやめにして(興ざめだしね)、確かにこの作品が与えた影響は大きかったと思う。確かにこの作品以降、「胡蝶の夢」的な作品は確かにあるし、ほんとうに多いぐらいだ。監督・脚本の押井守監督が手がけたパトレイバー劇場版もある意味現実と仮想の狭間を取り扱っている。というか押井守のバックボーンでもあるのだが。
誰もがどこかで「終わらないハレ(祭り)の日々」もしくは「簡単に覆される現実」をテーマににた話を書いている。SF好きな作家なら通過儀礼みたいなもんだよなぁ。
ハルヒではまんま「エンドレスエイト」がそうだろう。古くは「妖精作戦」シリーズの「ハレーション・ゴースト」とか(古すぎか!)。「妖精作戦」の影響が色濃く出ていると思う「イリヤの空、UFOの夏」だってそうだろう(ちょっと亜種気味だが)。探せば色々と出てくるはずだ。
まぁ、そういうわけですべての発端であり、根源であるこの作品を見直すことは中々に興味深い。その後の影響とその影響を受けた世代のリスペクト(なり、返答なり)を考えるとなおさらに。
ハルヒの場合、物事をいささか複雑にさせているのは、ハルヒを筆頭にキャラ達がそれぞれ微妙な変化と成長を遂げていて、ハルヒの変化がどう遂げていくのかまだ見えてこないこと。全うに考えれば古泉が望むように平穏な日々=一般人化なのだが、そうすればそうするほどハルヒを中心とした物語の駆動力は欠けていく(よって、「陰謀」のように外的因子の擾乱が始まるのだろうな、とは思っているのだが)。
というわけで、ビューティフル・ドリーマーを久しぶりに見たメモ+ハルヒのメモとして。
#だけど、これって「うる星やつら」でやられたら、そりゃ原作に思い入れのある人は怒るわな(w キャラと舞台を頂いてやっていることはまったく別の物語なのだしね。
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